もう少し絵の本の話を続けます
この本は、現在一般的な家庭で
与えられがちな子供向け商品や保育園などでの教育についても
批判がなされていますが
その是非はここではあまり問題にしたくありません
ただ、僕自身の子供時代の経験から
「そうだった!」と思えることがあったので
紹介しておきます
小学校2~3年で
いつも同じスタイルの絵・ぬりつぶしの絵を描く傾向についての記述です
「この悪い傾向は、技術指導の影響よりも
道徳指導の影響であるようです
現在の学校では(家庭でもそうですが)
なまけることは悪いことという道徳観念がこびりついており、
子どもの絵にぬり残しがあると
なまけていると頭からきめてかかっているようです。
こうして、象徴的(図式的)な素直な表現をこわしてしまうのです。」
これは本当にそうでした…
先生の指導のせいだったかどうか
本人としてはわからないですが
何か無意識のうちに
「できた!…と思ったら背景がまだだった
さて、何色にしよう
そうだ、黄色で塗りつぶそう!」
とか思うようになっていました
このことは絵に限らず、あらゆることで
無意識のうちに我々は何かしら表面的な
「つじつま合わせ」に走ってしまって
本質的なところから離れてしまう傾向に
あるのではないでしょうか
ここでは「自分が見たものを表現する」という
本来の絵を描くことの意味が
「親や教師を満足させる」というものにすりかわっていますが
これは次元の違う話ですし、
絵でなくてもできることです
さて、続いて
子どもの絵の特徴である
色々な表現方法について解説されています
これらを読むと
子どもたちの素晴らしい感覚に驚かされます
☆おびぞら
「ただそこに空があり、ジョニーは黄色が好きだから、
空を黄色にぬるだけです。」《V・ローウェンフェルド》
「どの国のどんな子どもも、例外なくはじめに描く空は一本の線です。
やがて帯のような空になります。
幼児の知識や感覚では”空は高い”からです。」
「空は上にある。空気は間にある。
これは、空と地面が地平線でぶつかる観念より
じっさい上ずっと論理的です。」《V・ローウェンフェルド》
☆たくさんの車輪
※子どもが「車が速い」ことの表現として車輪を実際よりも多く描き
それを教師に訂正された絵について
「正常な『たくさんの車輪』を描いた子も
おややきょうしにていせいされると自己表現の能力を失って
こういう動きのない絵を描くようになってしまいます。」
☆アニミズム
「”一切の現象中に霊の存在を認める”というアニミズムの説とはかかわりなく、
子どもが自由に描いた絵の中には、目鼻のある太陽や樹木があります。
子供たちは、文明人のおとながすでに失っている
原始人と共通の感情で、顔のある自然物を描くのであろうと考えられます。」
☆X線画
「子どもはほとんど『頭』とでもいおうか、全く記憶によって描く。
ポケットの中に何があるのかもよく見えるし、
財布の中のお金も見える。」《K・ビューラー》
☆天にのぼる道(川)
「子どもは生活体験を通して
道や川は幅があって、社会の果まで続いていることを記憶しています。
そして道や川は、絵のテーマの中で
よく重要な位置をしめています。
”遠近法”などという固定した描法にとらわれていない子どもは
とうぜんのように天にのぼる道(川)を描くことで
美しい堅固な画面を創造します。」
~~~~~~
こんな記述もあります。
「ここに掲げた5枚の絵に共通していることは
光の色や線が、画面全体と調和していることです。
それは、それぞれの表現が個性的であるしょうこです。」
「全体と調和していることが
個性的である証拠」とは、なかなか難しい表現ですが
実際に絵を見てもらえると
ニュアンスがよくわかると思います
この本の最後の部分は
「美」についての記述となっています
「名画の前に立つとき、わたしたちは胸の熱くなるような
いいしれない感動におそわれます。
この感動はどこから来るものでしょう。
名画のもつ内在的な力がその表現をとおして
われわれに迫るからではないでしょうか。
その力を感じとる唯一の道は
視覚によるほかありません。
表現 -それは内にあるものの外的な現れであり、
外に現れたものは内にあるものです。
これを内外対応の法則といいます。
したがって内にある精神を感得するためには、
目に見える部分、つまり、その表現にたよるよりほかはないのです。
絵画の構図は表現の骨組となるもので、色彩はその肉づけです。
人間の骨格が同一法則に従って組成されていながら万人一人として
同じでないように、構図も基本的な法則に支えられていながら、
全作品それぞれ微妙なちがいをもっています。
しかもそれが美であるためには、その法則からまったくそれてしまう
ことはありません。はかり知れない精神をさぐるほんの一助として、
絵画のもつ外的現われの一端である構図の公約数的な美の法則について
分析してみました。」
「コンパスと定規をもって、子どもの絵の構図を分析してみますと、
その構図が名作とまったくぴったり一致するのに出合い、
しばしば驚嘆させられます。」
「子どもが、構図法を知るわけがありません。また教える必要もありません。
次頁より子どもの作品のじっさいを見てください。
自由にのびのびと描いた子どもたちの絵が、
定規をあてることによっていかに構図法にぴったり合っているかを発見して、
あなたもきっと驚かれることと思います。
なぜか?子どもにというより、人間には秩序と調和に対する感覚が、
しぜんに内在しているからです。」
「多くのすぐれた芸術家、哲学者、学者等により、
美の定義はいく通りにもいわれています。
いずれもが真実であり、またいずれも完全にいい尽くしているとは
思われません。
そこで、わたしたちは、わたしたちなりに美とは
”人間の生命に関して、その健全さを維持し、
生命力をふるいたたせ、向上させるために役立つ
内部精神の表出である”と考えます。
したがって秩序も調和も、リズムもムーヴマンも、
すべて人間生命の維持に不可欠の要素であり、
それに出会ったとき人々は快感を感じ感動し、
あるいは激励されるのだと思います。」
これを読むとまさに
ハーネマンの語るオルガノン第9章が
思い起こされます
「健康な状態にある人間においては、物質的身体(組織的身体)に生命を付与し
ダイナミックに作用する精神的な生命エネルギー(完全調和の統治者)が、
身体のあらゆる部分を限りなく支配し、感覚と機能において驚くほど調和的な
生命活動を営む身体のあらゆる部分を維持する。
それゆえ、私たちの内に宿る理性的な精神は、生命をもつ健康なこの道具を、
私たちの人生におけるより高邁な目的のために自由に使うことができるのである。」
リアリティをありのままに表出した
名画との出会いはまさにレメディとの出会い
そしてそれにより人は感動に打ち震え、激励される
我々は自然のままにそれを感得する力を持った
子供たちの絵(美=健康)を
薄汚いもの=病
へと導くことのないよう
できる限り気をつけたいものです
そして
子供たちの絵にその「美」を見出す力を養うことで
我々自身も美の持つ感動に触れ
健康に導かれる
ということではないでしょうか
つづく