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2010年03月 アーカイブ

2010年03月01日

目に見えない変化 その2

さて
会場でいよいよ社長さんに会います
これまた予想通り
いや、それ以上に
腰低く接しやすい方で
どことなく頼りなさ(失礼!)も感じさせる人で
「バタバタして準備不足なので…」という風におっしゃるので
こりゃ、こっちがしっかりやろう!と思いました(笑)

しかし
受付とは聞いているけど
いったい何をしたらいいだろう、と思って尋ねると
社長さん「複数の学生さんが来ると思うので、
そちらで聞けることがあれば聞いて頂いて…」
って、ええ〜〜!?
会社のことも何も知らないのに
僕が何を話すの!?
と思いつつ、なぜか「はい」と答えてる自分(笑)

イヤイヤ、あかんがな
と思って色々聞こうとすると

「じゃあ、私ちょっとごはん食べてきます、すいません」

と言って、さっさとどこかへ行ってしまわれました
ガクッ!

さ〜て困りましたよ
開始まであと40分ほどしかないし…
でも意外と冷静でした
「ま、なんとかなるやろ」
得意の楽観主義です(笑)

あの社長だと、多分手ぶらで帰ってきて、イベントの途中で喉が渇いて
困るんじゃないかと思い(自分だけ飲むのも気まずいし)
ペットボトルの水を買っておきました

そして20分後…
あに図らんや
社長はなんとお茶を2本(僕の分まで!)買って戻ってこられたのです!

いやあ〜ありがとうございます
なんてお互いに笑い合いながら
いよいよイベントスタート!
何でも、学生さんが多いので
予定より早いスタートだとか
これは最初から忙しくなるぞ!
と思っていると
社長さん、今度は…

「最初はきっと出足が悪いんで、トイレ行ってきます」

えーーー


すると案の定
さっそく最初の学生さんがやってきました
この春卒業予定の初々しい学生さんが
おろしたてのスーツに身を包んで
背筋を伸ばして「よろしくお願いします!」

僕は内心
「ちょっと社長!どうすんの!?お〜い(><;)」
と思いながら
落ち着いた顔でニッと微笑んで
「え〜、今日はどういったきっかけで志望されたんですか?」
なんてもっともらしい質問をしたりして…(笑)
「就職活動はどうですか?今どこも厳しいでしょう〜」って
「おまえが言うな!」とツッコまれるんじゃないかと
ちょっとドキドキしながら…
まさかむこうも無職の男に聞かれてるとは夢にも思わなかったことでしょう(苦笑)

つづく


2010年03月02日

目に見えない変化 その3

結局
終わってみれば10人以上の方とお話をさせて頂きましたが
ほんと不思議なことに、ほとんど何の気負いもなく
焦りもなく、100%本音で話したいことが話せました

どのみち
会社の詳しい話は社長がされるのだから
何のメモも取らずに自由に話している社長のために、と
僕はその人が大学で何を学び、物事をどう捉えているか
というようなことをどんどん聞き
まるで授業かセッション?のように
メモを取りながら、相手の話を傾聴し
そのワールドに浸りながら、楽しく会話しました

相手の話にどっぷり浸っていくと
不思議と会話は途切れないもんですね〜☆
「次に何を聞こうか」なんて考えながら
上の空で相づちを打ってるよりも
よっぽど楽しいし、会話が弾む
そして相手も活き活きしてきます♪

それなのに会話が途切れる時
それは相手が閉じている時です
一人、明らかに最初から閉じている方がいらっしゃいました

斜に構えた風で
こちらの質問には、一度ちょっと不満げな響きを持って
聞き返してから答えたり
答える時に何か嘲笑めいた笑いを交えながら
答えたりしていました

そこで
「趣味は何ですか?」と聞き
その話を「へえ〜!」と熱心に聞きました
すると
いつの間にかどんどん会話が弾み
僕の席を離れる時には、すっかり明るくなって
なんと「すいません、好きなことばかりしゃべっちゃって」
と言われ
ちょっとびっくりしました

学生さんは
僕の席を離れた後、社長の方へ移るのですが
それまでに相手がなるべくリラックスした状態になるように気遣いました
新卒でガチガチになっている学生さんには
「緊張しないで」と言う代わりに
「僕も学生時代はな〜んも勉強せずにパチンコばっかりしてましたよ」
とか言って笑わせました

すると
パッと笑顔になって
スッと肩が下がるんです
「それいいよ、君!」と
思わず叫びたくなる瞬間でした

つづく

2010年03月03日

目に見えない変化 その4

またこちらがフリースタイルに型破りな話を持ちかけても
困惑しているような人には
あえて会社の面接官がいかにも聞きそうな
マニュアル通りの聞き方をしてみたりしました

すると逆に安心したように
スラスラと答え始め
それまで主語が「僕は」だったのに
「私は」に代わる人もいたりして
思わず笑いそうになりました

そうかと思えば
自然な会話の中で
マイペースなしゃべり方でも
こういう仕事が好きなんだという感じが滲み出ている人も居たりして…

そういったやりとりで
各人が就職をどのように捉えているか、ということが
なんとなくわかりました

…というわけで
終始好調な感じであっという間に時間が過ぎ
無事終了となりました
ちょっと調子に乗りすぎて
社長さん、怒っておられないかな?と心配しましたが
「いやあ〜助かりました!僕一人だとアタフタして困るところでした」
と言われ、本当によかったと思いました

さて
僕は多くの人と話す中で
自分なりに見えた部分もあったので
社長さんと少し話がしたい
と言って、喫茶店へ行くことになりました

その中で社長さんが
なかなか鋭い見方をしていますね
というようなことを言ってくれたので
ホメオパシーの勉強をしている、と言いました
そしてそこではこういった人の見方をする
というような話もしました

ホメオパシーについてはそれほど詳しく話せませんでしたが
社長さんには
あなたの目指すような仕事を必要としている人はいっぱい居るので
ぜひともやってほしい!と言われ
また自分自身も今日話したことで癒された
とも言って頂きました

僕としては
自分がこんなに勉強させてもらえる仕事だったのに
お金までもらえて、ラッキーだなと思っていたのに
社長さんにそんなに感謝されるなんて
本当にいいんだろうか、というキツネにつままれたような…
幸せな気分でした

以前、授業で先生が同じように言っていたことを思い出しました
ホメオパスという仕事は、自分自身が誰かの健康のために役立つことができ
幸せな思いをさせてもらえる仕事なのに
お金までもらえて本当にいいのかな、と思うことがある
と…

次の日、仕事を紹介してくれた人と会い、さっそく感謝の報告をすると
逆に「優秀な人を紹介してくれてありがとうって絶賛されて、鼻が高かったよ!」
と言われ、またビックリ!
本当にありがたいことだな、と思いました

思えば僕がしたことは
学校でよく教えられている
広い意味でのホメオパシーの実践だったのではないか…

「今、その人にとって必要なことをする」
ということ
社長さんがスムーズに仕事できるように
後ですぐ思い出せるように
と考えながら必要なことをした

それがぴったり合っていたから
後でホメオパシーの話をしても
それが何ぞや、という話をするまでもなく
何かズバッと伝わるものがあったのではないでしょうか…

そしてそれは
たとえ自分がどんな状態でも
その時の自分には、必ず何かしら
人のためにできることがある
ということでもありました

学長がよく「自分はいわゆる『ホメオパシー』というものをやっているんだ、
という自覚はそんなにない」
と言っている意味がわかる気がしました

ホメオパシーの創始者ハーネマンの言う
真の医師の態度とは
まず人としてどうなのか
ということにも通じると思います

あくまで個人のあり方を尊重し、クライアントとの信頼関係を大切にする
ホメオパシーにおいて
ホメオパスを目指す人間の成長というものを最重要視する
この学校の学びの尊さを改めて実感した出来事でした

つづく

2010年03月10日

ハッピーニュースを始めよう♪

皆さん!!
ようやくパソコンが復活しました~~~!!!
これにより
ブログもサクサク更新することが
可能となりました

応援してくださった方々
本当にありがとうございました(感涙)
復活までには
ほんと長い道のり
壮大なドラマがありましたが
その辺りは後日また書かせていただきますので
お楽しみに♪

さて
復活一発目のブログなんですが

先日の授業の際
学友・先生たちと
「ハッピーニュース」を見つけよう☆
という話になりました

とにかく世の中
暗~いニュースが多すぎる!
テレビやインターネットを開けば
殺人事件、大災害、テロ、不景気…
平気でそんなニュースが流れてるけど
あまりに不幸なニュースばかり
強調しすぎなんじゃないか…

そこで!
僕らが日常のハッピーニュースを見つけて
流そう♪♪
というゴキゲン(死語ですが敢えて)な企画なのです♪

え?誰がどこで流すの??
まあそんなことはあまり気にせず(笑)
そりゃあいい!と思った人は日々ハッピーニュースを見つけて
周りの人に流してください♪
1日の中で、何かハッピーなニュースを見つけて
誰か1人にでも伝えられたら嬉しいなあ~
そんな企画です☆

ポイントは、日常の中から見つける
ということです
アンハッピーな話には目をつぶろう
というのではありません
ただ、それだけではないんじゃないか?
ということです

これって案外
ホメオパスの仕事に通じますよね♪
現実の再構築とでもいうか…
同じ景色が目に映っていても
「見なければ」見えてこないこと
を発見するわけです

朝のテレビで不景気なニュースを見たとして…
通勤電車の中でもそのことばかり考えてたら
景色も目に入らない…
でもハッピーニュースを探そうと
車窓を眺めていれば
美しい花が咲いているのを発見できるかもしれない!

そんなわけで
最近なぜか長編志向で
間が開きがちなこのブログ(笑)
仲間のグッドアイデアで
ネタ切れの時(!?)は
ちょこっとハッピーニュースをお伝えしていこう
ということになりました

こんなハッピーみつけたよ!
という人はこっそり?僕に教えてください

というわけで
さっそく今日のハッピーニュースは
大阪校の生徒さんから…(笑)

大阪校のある淀屋橋
そのオフィス街にある紫木蓮が
紫色の花びらを覗かせているのだそうです☆

へえ~素敵だね~♪
…ところで紫木蓮ってどんな花?
と思って調べてみると
なんとも美しい花です
なんでも学名はmagnolia
レメディみたいな名前だな~と思って
ホメオパシーと木蓮で調べてみると
なんとも美しいページにたどり着きました
そこはあるホメオパスのホームページ…
ムム…
ほう~なんか素敵な感じだな~
と思って読み進めていくと…

なんとハーネマンアカデミーの名前があるではないですか!
どなたなんだろう…と調べてみると
このホームページにも大先輩として紹介されている
望月朝子さん
でした

いやはや
偶然とはいえ
すごいところから繋がるものです

望月さんはイギリスに住まれており
この木蓮をご自分のページの
モチーフにされておられるようです
素敵な解説をされてましたので
失礼ながらその名文をご紹介させて頂きまして
本日のハッピーニュースを終わります♪

~~~~

みなさん木蓮の木を見たことがありますか?
ここイギリスでは、
あちこちの家庭の庭に何気なく植わっていて、
そこここで見られる花です。
まるで木に咲いた蓮のように、
花は空に向かって美しく花びらを広げています。
空からのたくさんの贈り物を受け取らんと一生懸命に、
凛として咲いている、
そんな花です。

木蓮の花言葉は、「自然への愛」。
ホメオパシーという自然からの贈り物を通して、
私たち自身を含めた「自然」との対話によって導かれる
健康を目指しています。


つづく

2010年03月11日

今日のハッピーニュース♪

今日もハッピーニュースをお伝えします

うちは大通りに面しているので
四六時中
車の走る音がしています

でも風向きのいい日には
お昼と夕方の1日2回
ベルの美しい音色で
音楽が聞こえてくるのです

それは
うちから少し離れた
公共施設にある
ベルの付いた時計塔から流れてきます

僕は気付いた時には
窓を開けて
その音色に耳を澄ませます

今日は
夕陽に西の空が美しく染まる時間

聞こえてきました!

急いで窓を開けると…
「埴生の宿」

なんとものどかで
どこか寂しげなメロディー

この曲を聴くと
映画「ビルマの竪琴」を
思い出してしまうからかもしれません

ちょっとこの曲について調べてみると
実はイギリスの歌で
明治22年に
日本でも訳されて
定着したようです

歌詞は以下の通り…

~~~~~
訳詞:里見義
作曲:SIR HENRY ROWLEY BISHOP

埴生の宿も わが宿
玉の装い 羨(うらや)まじ
のどかなりや 春の空
花はあるじ 鳥は友
おお わが宿よ
楽しとも たのもしや

書(ふみ)読む窓も わが窓
瑠璃の床も 羨まじ
清らなりや 秋の夜半
月はあるじ 虫は友
おお わが窓よ
楽しとも たのもしや


という歌詞ですが
さすがに昔の言葉で
意味を理解するのが難しいです;
「埴生(はにゅう)の宿」とは
土で作った簡単な家
ということらしく
歌詞の内容は

土でできた小さな家も我が家だから
玉の装いなど、豪華なものを私は羨ましがらない
我が家が一番なんだ

という歌
こういう発想
いいですね~
僕は好きです(笑)


のどかなりや
春の空…

大阪の春は
まだ寒々しいですが

週末提出の論述試験に
一日中、黙々と取り組んだ今日

ほっこりと心温まる瞬間でした

めでたく3年生の春を迎えるために
もうひとふんばりです

つづく

2010年03月14日

学年末試験!! その1

ふう~~~~~~

この週末
2年生の学年末試験が
激闘の末
終わりました…

各校の2年生の皆さん
本当にお疲れ様でした(苦笑)

そして出題してくれた
学長をはじめ
スタッフの皆さん
本当にありがとうございました!!

この試験は
本当に素晴らしい体験でした

まず土曜提出の
論述問題が
なんと水曜日に出題されました(4日間しかない!!)
そして
ほとんどの問題が1000字以上という
圧倒的ボリュームでした(驚)

僕はまず見た瞬間

諦めよう…

と思いました(笑)
正確には
初めて思ったというより
前から半分そう思っていました
そこに実際の出題を見て
「いい口実ができた」
ぐらいの気持ちが半分ありました

正直に告白すればそんな感じで
僕は大体何に対しても
そういう「逃げ腰」な姿勢があります
やる前から「絶対やる!」と決めてかかるより
やってみて「できそうならやる」という…
悪い意味での「やってみなきゃわからない!」精神(笑)

でも
とにかくやれるだけのことはやろう!
と思いました

しかし
残り時間や
何からやれば効率がいいのか
など
あれこれ考えてみるも
まとまらない…;
とにかく解くための手がかりを得ようと
下調べをしてる間に

う~~む…

とたちまち迷宮入り

カチッ…
カチッ…と
時間は着実に過ぎ
心に脂汗が流れ出す

どうすりゃいいんだ…;;

どれも熟考を要する問題…
とにかく「進まない」事態を
なんとかしたくて
不安をかき消そうと
焦って書き出してみても
あまりに薄っぺらい回答…

何書いてんだ!
こんな幼稚な答えが提出できるか…!;

いよいよ手に汗が滲み出す

そして
あれだけ毎月の授業後に
「勉強になった!」
「いい授業だったな~!」
とか思ってたくせに

実際ホメオパシーについて書け
と言われると
な~んにも書けない自分に愕然!!

これが現実か;

なんてこった…

絶望だ

確かにpsor.のレメディーは飲んだけど
この絶望感はプルービングではあるまい(苦笑)

つづく

2010年03月15日

学年末試験!! その2

そうして行き詰まりながらも
とにかくあれこれ資料を見て
語句を継ぎはぎしている時

ちょっと待て
と思いました

あまりに
「試験」という言葉に呪縛されてないか?

俺がやってることは
高校や大学受験の時
卒論を書いてた時と
一緒じゃないか…

いまやってることは
ホメオパシーの勉強じゃない
答えを探して
合格点をもらおうと
表面上のつじつま合わせをしてるだけ…

どこに答えが載ってるかを「知って」いても
それをうまく探し出して上手に書いても

またそれで「ごまかして」いい点をもらえても

なんの意味もない


僕がこの学校で教えてもらったのは
そんなことじゃない

むしろそこから脱却し
本当の意味で「学ぶ」
ということであったはずだ

答えを探すな

考えろ!

そう自分に言い
手にした資料を置いて
もう一度問題に向き合いました

何が問われているのか

そこには
「正解を探して来い」
とは決して書かれていませんでした
「あなたはどう考えているのですか」
と問われていたのです

その瞬間
ダーっと
自由に考えがあふれ出ました
一気に書きました

僕なりに思うこと
それが答えとして繋がりました

そうか

そうだったのか!

そうやってみると
出題の意図
全ての問題の流れが
見えてきました

さらにはボリュームの意味
回答の形式
提出までの期間
など…

それらが十分に熟考され
まさにベストタイミングで
全く過不足なく、最大の効果が得られるような形で
出題されている気がしました

まさに
シングルレメディー・ミニマムドーズ

まるで学長の声が
聞こえてくるようでした

思わず涙が溢れてきました
全ての問題が輝いて見え
感動しました

すごく興味深い問題だし
何より血が通っている
だから…当然ながら
取り組むことに「感動」がある

それこそが
ホメオパシーなんだ

正直に答えればいい
勉強してこなかったことは
わからない

それでいい

レメディーについて考えるということは
自分自身が敬意を持って人に接するということ

誰にだって
今の自分にできることがある

それをできる限りやればいい…

結果は惨憺たるものでした
しかし「やりきった」感がありました

全てを提出し
また週末の素晴らしい解剖の授業を
受けさせて頂き

この試験に
いかに多くの意味があったかを実感しました

そしてきっちりと
「2年間の学び」を終えた気がしました
何かははっきりわかりませんが
明らかに何かが成仏し
何かが新たな段階へ”自発的に”進んだ気がします

僕は確かに3年生になります
皆さん、本当にありがとうございました
そしてまた新たな1年
よろしくお願いします♪

つづく

2010年03月16日

絵 その1

図書館ですごい本に出会いました

本の名は…

原色 よい絵よくない絵事典
ー幼児画・児童画の見方・導き方ー
黎明書房 ¥8,800

強烈なタイトルですが
中身を見てもすごい

解説を見ると
歯に衣着せぬというか
子供たちの自由な絵を
「いい」「悪い」
とはっきり分け
悪い絵はこてんぱんにこき下ろしています
いたって冷静ですが完膚なきまで…です

一例を挙げましょう

「よく観察して描くという訓練を受け、こんな写生画の型にはまった絵を描く子は、
もう完全に自己表現力を失っています」

僕はタイトルだけでも「出た!いい・悪いって
根本的に自由な芸術を誰が一体どんな基準で判断してるんだろう」
…と思って読み始めたんですが
こういう解説を見て
開いた口が塞がりませんでした

そして第一
「悪い」と評されている絵が
それほど悪く見えないのです

ある意味では似たりよったり(みんな大した技術はない)
そしてある意味では
それぞれに全く違う(几帳面な子はこまごまと画面を埋め尽くし、
またおおらかな子は太陽と木と人間の顔だけ…など)
とにかく自由奔放な子供の絵を
大人の基準で「いい・悪い」などと
それこそ趣味の悪いこじつけなんじゃないのか


でも…

読んでいくと
何か言葉に力があります
そして絵だけでなく
もっと深いもの…
つまりその後ろにある
「生き方」のようなものに通ずる何かが感じられ
興味をそそられます

「このような絵を”看板絵”とよびます
”看板の絵”は売っている品物を説明するのが使命であるように
この絵は、街の一隅にあるものをもっぱら説明しています。
思春期の敵に完全に降参した絵といえるでしょう。」

むむ…

そしてこの本には
世界の芸術家たちの
名言というのが
随所に散りばめられています

「創造性のおわりの真の原因は、
子どもたちが象徴から立ちさって
自然を模倣するところにある。」《F・チィゼック》

ほう~
自然の模倣か
どこかで耳にしたような…

だんだん
なかなかいい本だな~と
そのワールドに引きこまれて行きました

子供たちの持つ驚くべき才能、
人間が本来持っている素晴らしい力が表現された絵には
素晴らしい評価がされています

「細部の関心のあるところだけを誇張したり
部分の相互関係を勝手にかえたり
実物の色に関係なく好きな色だけを使ったり…
”触覚タイプ”の特徴がめだつ自画像です。
それでいて『本人にそっくり』といわれ、
造形の理にちゃんとかなっています。
”似ていること”(リアリティ)の神秘の実体を目のあたりに見るような絵です。」

果たして
この人たちは一体何者なんだ!?

つづく

2010年03月17日

絵 その2

この本を書いたのは
「創造美育協会愛知支部」
となっていて
どうやら彼らは
悪い絵を描く子供たちを批判しているのではなく
むしろ子供の絵に良くない影響を与える
「血の通わない」美術教育、大人の姿勢、眼差しについて
指摘し、良くして行こうとしているようなのです

実はこの本はもうかなり古い本で
今では日本の美術教育の古典として
20年以上読み継がれている
とのことです

「煙突をのぼる人が、煙突に直角に倒して描いてあったり
道路が天に登り、走る車が倒立しているのは
明らかに『象徴主義』の”基底線表現”の特徴です。
それらは、作者の感情が自律しているしょうこであって
この子は個性的な表現様式を使って
対象のリアリティをとらえることができたのだと思われます。」

示唆に富んだ言葉や
本質にズバッと来るような考察・表現が多く
とにかくこの本からの引用だけでも
おなかいっぱい!笑 になるぐらい
自分たち大人が
気付かされること、学ばされることがかなりあります

以下、しばらく引用です

「<視覚型>すなわち観察する型の者は、
通常、外観から事物に接近する方法をとる。
<触覚型>は、自我によって自己の経験を投影するので、
その絵画的表現は非常に主観的である。
したがってその釣合いは価値の釣合いなのである。」《V・ローウェンフェルド》

「教師というものは、目にみえぬ精霊のように
子どもたちのまわりを徘徊するものだということを会得せねばならぬ。
そして、いつでも励ます用意を整えておかねばならぬ。」《F・ウイルソン》

「われわれが必要とするもの、それは熱中だ。」《E・ヴェルアーラン》

~~~~~
さてここで、あるエピソードについて書かれています
ある小学校で、生徒に人気はあるけれど美術には自信がない
という先生がいて
美術の時間はとにかく生徒を自由にさせて
「なにを描いてもいいよ」といって
放りっぱなしだった、というのです
それについてある美術の先生に批判・指導を受け
いつものように授業をやった次の日に一念発起し
機嫌よく活発に生徒に話しかけ
「これはきれいだね」など真剣な気持ちで激励するなどしたところ
全生徒の絵がガラッと変わった
という話で
その時の両者の絵についての解説です

「Aの絵(前日に描いた絵)にくらべて、Bの絵(翌日描いた絵)の表現様式は
幼っぽくなっています。それはとりもなおさず、創造的雰囲気の中で
自分の表現をとりもどしたということでしょう。
この絵の場合もAの絵はただおとなっぽい描き方で
うすぎたないのが目だちます。
Bの絵は、幼児画のようでも、誠実で心のこもった美しい絵です(中略)
たいていの学級では、こうした創造性の復活を激励しないどころか
”へたな絵”だと見すごすのが実状ではないでしょうか。」

これも一見、
大人(教師)に教えられた(あるいは子供が真似た)技術により描かれた絵を
「薄汚い」というなど「悪い」と判断しているようですが
単純にそう言っているのではなく、
子供が自分の心に浮かんだ「描きたいもの」を表現できずに
表面上のテクニックで大人を喜ばそうとしてしまうこと
(それでごまかしてしまうこと)
また大人がそうさせようと導くことを「創造性のないもの」と
いっています

これは僕が前回のブログに書いた
「学年末試験」で学んだことと
全く同じです

そういう絵が
いかに「死んでいるか」は
実際にこの本に載っている絵を見てもらえれば
よくわかります

…と!
ふと気付けば偉そうなことを言っていますが
この本を読んでいると
「よい絵・よくない絵」とされる両者の違いが
だんだんわかるようになってくるんですよ

一言で言えば直感ですね
見た瞬間「え?(なんかちょっとひっかかるな)」と感じるか
「うわ~いいな~♪」と思うか
そう感じるのはほんの0.0何秒だったり、ごく弱い感覚だったりするので
次の瞬間にはたちまちそれを打ち消したり、こね回すような
「理屈」が浮かんできます
そうはいってもこれはその子の個性だとか
この明るい色が僕にそう感じさせてるのでは?とか…
でも解説を読むと
やはりそれが滲み出しているのがわかります

そしてそういう見方は
繰り返すことで身に付いてくるというのもわかります

つまり子供の絵をちゃんと見るというのは
自分を正していくことにもつながる
そんな気がします

「自由画教育に教師たる資格は
美術界の知識に富んでいる事でも
水彩画が描けることでもない
唯生徒の創造を愛する心
それがあればよいのである」《山本鼎》

つづく

2010年03月18日

絵 その3

もう少し絵の本の話を続けます

この本は、現在一般的な家庭で
与えられがちな子供向け商品や保育園などでの教育についても
批判がなされていますが
その是非はここではあまり問題にしたくありません

ただ、僕自身の子供時代の経験から
「そうだった!」と思えることがあったので
紹介しておきます

小学校2~3年で
いつも同じスタイルの絵・ぬりつぶしの絵を描く傾向についての記述です

「この悪い傾向は、技術指導の影響よりも
道徳指導の影響であるようです
現在の学校では(家庭でもそうですが)
なまけることは悪いことという道徳観念がこびりついており、
子どもの絵にぬり残しがあると
なまけていると頭からきめてかかっているようです。
こうして、象徴的(図式的)な素直な表現をこわしてしまうのです。」

これは本当にそうでした…
先生の指導のせいだったかどうか
本人としてはわからないですが
何か無意識のうちに
「できた!…と思ったら背景がまだだった
さて、何色にしよう
そうだ、黄色で塗りつぶそう!」
とか思うようになっていました

このことは絵に限らず、あらゆることで
無意識のうちに我々は何かしら表面的な
「つじつま合わせ」に走ってしまって
本質的なところから離れてしまう傾向に
あるのではないでしょうか

ここでは「自分が見たものを表現する」という
本来の絵を描くことの意味が
「親や教師を満足させる」というものにすりかわっていますが
これは次元の違う話ですし、
絵でなくてもできることです


さて、続いて
子どもの絵の特徴である
色々な表現方法について解説されています
これらを読むと
子どもたちの素晴らしい感覚に驚かされます

☆おびぞら

「ただそこに空があり、ジョニーは黄色が好きだから、
空を黄色にぬるだけです。」《V・ローウェンフェルド》

「どの国のどんな子どもも、例外なくはじめに描く空は一本の線です。
やがて帯のような空になります。
幼児の知識や感覚では”空は高い”からです。」

「空は上にある。空気は間にある。
これは、空と地面が地平線でぶつかる観念より
じっさい上ずっと論理的です。」《V・ローウェンフェルド》

☆たくさんの車輪

※子どもが「車が速い」ことの表現として車輪を実際よりも多く描き
それを教師に訂正された絵について
「正常な『たくさんの車輪』を描いた子も
おややきょうしにていせいされると自己表現の能力を失って
こういう動きのない絵を描くようになってしまいます。」

☆アニミズム

「”一切の現象中に霊の存在を認める”というアニミズムの説とはかかわりなく、
子どもが自由に描いた絵の中には、目鼻のある太陽や樹木があります。
子供たちは、文明人のおとながすでに失っている
原始人と共通の感情で、顔のある自然物を描くのであろうと考えられます。」

☆X線画

「子どもはほとんど『頭』とでもいおうか、全く記憶によって描く。
ポケットの中に何があるのかもよく見えるし、
財布の中のお金も見える。」《K・ビューラー》

☆天にのぼる道(川)

「子どもは生活体験を通して
道や川は幅があって、社会の果まで続いていることを記憶しています。
そして道や川は、絵のテーマの中で
よく重要な位置をしめています。
”遠近法”などという固定した描法にとらわれていない子どもは
とうぜんのように天にのぼる道(川)を描くことで
美しい堅固な画面を創造します。」

~~~~~~
こんな記述もあります。

「ここに掲げた5枚の絵に共通していることは
光の色や線が、画面全体と調和していることです。
それは、それぞれの表現が個性的であるしょうこです。」

「全体と調和していることが
個性的である証拠」とは、なかなか難しい表現ですが
実際に絵を見てもらえると
ニュアンスがよくわかると思います


この本の最後の部分は
「美」についての記述となっています

「名画の前に立つとき、わたしたちは胸の熱くなるような
いいしれない感動におそわれます。
この感動はどこから来るものでしょう。
名画のもつ内在的な力がその表現をとおして
われわれに迫るからではないでしょうか。
その力を感じとる唯一の道は
視覚によるほかありません。
表現 -それは内にあるものの外的な現れであり、
外に現れたものは内にあるものです。
これを内外対応の法則といいます。
したがって内にある精神を感得するためには、
目に見える部分、つまり、その表現にたよるよりほかはないのです。

絵画の構図は表現の骨組となるもので、色彩はその肉づけです。
人間の骨格が同一法則に従って組成されていながら万人一人として
同じでないように、構図も基本的な法則に支えられていながら、
全作品それぞれ微妙なちがいをもっています。
しかもそれが美であるためには、その法則からまったくそれてしまう
ことはありません。はかり知れない精神をさぐるほんの一助として、
絵画のもつ外的現われの一端である構図の公約数的な美の法則について
分析してみました。」

「コンパスと定規をもって、子どもの絵の構図を分析してみますと、
その構図が名作とまったくぴったり一致するのに出合い、
しばしば驚嘆させられます。」

「子どもが、構図法を知るわけがありません。また教える必要もありません。
次頁より子どもの作品のじっさいを見てください。
自由にのびのびと描いた子どもたちの絵が、
定規をあてることによっていかに構図法にぴったり合っているかを発見して、
あなたもきっと驚かれることと思います。
なぜか?子どもにというより、人間には秩序と調和に対する感覚が、
しぜんに内在しているからです。」

「多くのすぐれた芸術家、哲学者、学者等により、
美の定義はいく通りにもいわれています。
いずれもが真実であり、またいずれも完全にいい尽くしているとは
思われません。
そこで、わたしたちは、わたしたちなりに美とは
”人間の生命に関して、その健全さを維持し、
生命力をふるいたたせ、向上させるために役立つ
内部精神の表出である”と考えます。
したがって秩序も調和も、リズムもムーヴマンも、
すべて人間生命の維持に不可欠の要素であり、
それに出会ったとき人々は快感を感じ感動し、
あるいは激励されるのだと思います。」

これを読むとまさに
ハーネマンの語るオルガノン第9章が
思い起こされます

「健康な状態にある人間においては、物質的身体(組織的身体)に生命を付与し
ダイナミックに作用する精神的な生命エネルギー(完全調和の統治者)が、
身体のあらゆる部分を限りなく支配し、感覚と機能において驚くほど調和的な
生命活動を営む身体のあらゆる部分を維持する。
それゆえ、私たちの内に宿る理性的な精神は、生命をもつ健康なこの道具を、
私たちの人生におけるより高邁な目的のために自由に使うことができるのである。」

リアリティをありのままに表出した
名画との出会いはまさにレメディとの出会い
そしてそれにより人は感動に打ち震え、激励される

我々は自然のままにそれを感得する力を持った
子供たちの絵(美=健康)を
薄汚いもの=病
へと導くことのないよう
できる限り気をつけたいものです
そして
子供たちの絵にその「美」を見出す力を養うことで
我々自身も美の持つ感動に触れ
健康に導かれる
ということではないでしょうか

つづく

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