今日は
日本中を旅する舞踏家の友人が
京都で公演をするというので
僕にホメオパシーというワードを
教えてくれた友人と一緒に
観に行きました
いいですね~
京都はやっぱりいい
年齢が進むほどに
京都の良さを感じるのは
偶然ではない気がします
肌寒さを
陽射しが癒してくれる
そんな昼下がり
鴨川のほとりを四条から五条に向かって歩くと
色とりどりの美しい鳥たちが
元気に迎えてくれます
舞踏を見たのは
五条にある
古い歌舞練場
周囲にも
ひっそりとした古いお茶屋さんが多く
いい~雰囲気です
前方の舞台の他
左右にも狭い舞台があり
そこに三味線や太鼓の人が出てきて
出囃子を奏でてくれます
観客は板の間に座布団を敷いて観る
僕はこんな舞台で観るのは初めてで
落語がぴったりというイメージです
始まるとすぐに
「この動きはどういう意味だろう」
とか
頭で色々考え始めます
それがうるさくて
自分自身が静かになるのを待ちました
そして解釈をせず
ありのまま観ること
感じることに集中しました
部屋には
大きな石油ストーブが
2台置いてあります
思わず寝ました…笑
いやいや
踊りはもちろん良かったのですが
BGMがまた良かった!
思えば
こういう時に流れる音楽って
気に入らないことも多いんです
でも
今日はとても気に入りました
色んなジャンルをうまく融合させた
斬新かつ心地よい曲が
流れていて
日本の伝統とアヴァンギャルドさを感じさせる
舞踏の内容にもぴったりの感じでした
特に
三味線、歌、笙の笛…かな?
という三人の演奏に
着物の踊り子が一人
という場面で
先日僕が音楽セッションで苦闘した
日本人独特の「間」を感じました
それはとても落ち着くものでした
元々僕が一人の時は
こういうペースが心地よいな~
という感じです
それは紛れもなく自分が
日本人だという証なのかもしれません
思えば子供の頃
小学校か…ひょっとすると幼稚園か
集団生活を学び始めた頃から
本来の自分はこういうペースなのに
周囲のスピードに合わせて
とにかく急いで、派手に、大げさに
生きてきたような気がします
目の前で流れる
三味線、歌、笛…全て
音の間隔が長く
風情を感じる「間」に満ちています
帰りに友人とも話したのですが
現代生活は何かにつけて
ますます「間」がなくなっています
ケータイ、テレビ、インターネットからは
瞬時に大量の情報が入ってきます
考える「隙間」がない
昔は気になるアノ子と電話で話そうにも
家にかけないといけない上に
お父さんに不機嫌な対応をされるので
そう頻繁に話せず
あれこれ想像しました
会う日は時間と場所を事前に決め
当日は
ちゃんと会えるかどうかドキドキでした
ちょっと遅れたり迷っても連絡の取りようがなく
どうしたのかな?と
あれこれ考えます
今ならメールで「電車に乗り遅れた;ごめん」
で終わりです
つまり昔ほど
「間」があったんですよね
電話ができる前
手紙しかなかった時代は
言わずもがなです
それってやっぱり大事だな
と思いました
大人に「間=ゆとり」がないと
子供たちがどんどん追い込まれる
そんな気がします
忙しいからといって
「間」を見つけては何かを詰め込むのではなく
味わいたいものです
つづく