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2009年02月 アーカイブ

2009年02月01日

見ること

ブッタとシッタカブッタ
というマンガを
学校の先輩にお借りしました

これがまた
とても面白いのです

かわいいブタを主人公にした
4コママンガで
仏陀の教えが
楽しくわかりやすく
読めるようになっています

その中に
人間の感覚器官は
心で思ったことを認識する
というのがありました

たとえば
喫茶店で彼女と話している時
目には彼女を含めた全ての景色が
映っているのに
彼女しか見えていない
ということがあります
その時窓の外を横切った車を
後から思い出そうとしても
覚えていないでしょう

また耳には
その場にいる全ての人の話し声
キッチンの音
BGM
外の車の音など
あらゆる音が入っているのに
彼女の話しか聞こえていません
だから後から
BGMが何曲流れたか
思い出そうとしても覚えていません

つまり
人間はありのままを認識するのではなく
心で思ったものを見聞きしている
というわけです

逆に何も考えずにありのままの景色を見ても
何が見えているのか認識できないと思います
全体の中から一部を切り離して
「彼女」と認識するからそう見える

それと同じような話を
斉藤ひとりさん
という方がされていました

人間の魂は映写機だから
「思い」というフィルムを入れ替えれば
起こってくる現実が変わる

これはまさにこの話だと思います

彼は中学卒ですが
それをバカにする人間に出会ったことがない
それは自分がそう思っているからだ
とおっしゃっていました

逆に「あんなこと言われた」
「誰々さんにこんなに傷つけられた…」
と延々言ってると
そんな人ばっかり現れますよ

人をありのままに
「限りなく近く」認識するためには
そういう「思い」に振り回されないことや
どういった「思い」を持って物事を「見る」か
人と接するか
ということが大事だと思います

僕も今まで他人に対して
知らず知らずのうちに
「○○さんはこんな人」と
レッテルを貼っていたと思います
しかし最近は
それはそれとして
すぐにフィルムを入れ替える?ように
なるべくフラットな気持ちで
何度も何度も同じ人と接するようにしています
そうすると本当に人の色々な面が見えてきて
それらが等価値に見えてきます
すると例えばその人がイヤな態度をとった時
それまで自分にとってその人の「全体」だったイヤな面が
その人の「一部」に見えてきます
だからあまりイヤじゃなくなります

思えば昔
僕は他人に
自分の一面だけを見られて
レッテルを貼られることを
とても嫌がっていました
でもいつの間にか
「お前は○○な人間だ」と
言うような人が居なくなりました

つづく

2009年02月02日

発言すること

生きるということは
ほんと~に
どこまでいっても
暗中模索だなあ
と思います

正解を求めて
行動せずにいても

やる前に
答えを知って
失敗を防ごうと思っても

前に進めませんね~…

同じく
自分の中で確信が持ててから
しゃべろうと思っても…

ひたすら無口になっていくだけです(笑)

結局何をやってもいい
何を言ってもいいんだと思います

人生は自由
自分の思うがままに生きられるはず
ですね

それって実は
とても勇気と決断が要りますね

僕は元々臆病というか
のろいというか
優柔不断なところが大いにありまして

普段から何事も「決断」することが苦手で
スーパーへ行って買い物をしても
納豆コーナーで数分立ち尽くして
「超小粒」にするのか「ひきわり」にするのか
悩んでいたりします

今までそういう自分がイヤでしたが
どうしてもそういうことを繰り返す自分を
自分だけが認めようという気になってきました

でも

さすがに社会、組織内での集団生活において
それではまずい状況になってきました

一度書きかけた原稿を何度も見返したりして
牛のように食べたものを出してまた味わうような
そんなことをよくしていたのですが
それでは時間が足らなくなってきました

人生は選択の連続といいますが
最近
「超小粒」納豆を選んでも
「ひきわり」を選んでも
どっちでも変わらないような気がしてきました

じゃあさっきの悩んでいた時間は何だったんだ?

そう思うと
やっぱりいわゆる「ムダ」は省略したい…
というか他のことに時間を回したくなってきます

人生もまさしく納豆

どちらを選んでも同じ
でも選べ

ということが連続しているようです

だから発言しようと思います
行動しようと思います

間違ってることを言うかもしれない
幼稚と思われるかもしれない
それでも進もう
発言しよう

最近そう思って過ごしています

井の中からはいつまで経っても大海が見えないのです

つづく

2009年02月03日

中身を書く

僕は今まで
「ガワ」ばかり書いてきました

中身ではなく
外側のことです

何を書くかではなく
どのように書くか

手段ばかり考えてきました

今日
仕事で原稿を書いていて
上司に見てもらった時

そのことに
はたと気づきました

「ボクの方がうまく書ける」
そんなことにばかり気を取られていました

その上司は
ボクがどんな表現を使っているか
全然気にしていませんでした

ただ
ポツリポツリと
中身を直されました

それらひとつひとつは
短いセンテンスなのに
ひとつひとつが強力なパワーを持っていました

つまり
ボクの文章は「てにおは」が間違っているのではなく
重要な「中身」が書かれていなかったのです

これは重大なことです
とても重大!です

ボクが今まで「ガワ」ばかり気にしてきたこと
それに気づいた瞬間
パソコンゲームでソリティアが完成した時のように
ものすごい勢いで色んな場面が頭をよぎり
あれもこれもそうだったのかー!

フリーズしてしまいました(笑)

ボクは以前から
どうも「詩」がよくわからないのです

流行歌の歌詞にしてもそうです

詩も歌詞も
ポツリポツリと
少しずつ
ありきたりな単語が並べられていて
どれも同じに見えるのです

しかし!
それはボクが字面しか
見えてない
見ようとしていない
ということです

極端な話
字が間違ってても
接続詞がおかしくてもいいんですね

でも中身がないのが
ダメなんですね

原稿の話に戻れば
中身をしっかり作ればオーケーなんです
きっと

「ガワ」はいいんです

それに費やす時間を減らして
中身を考えることにします

いつか詩がわかる時がくるかもしれません

つづく

2009年02月04日

聴く

今日は
「ガワ」話の続きです(笑)

僕は音楽が好きで
これまでずっと
ドラムや太鼓を叩いてきたのですが
そこでもガワばかり気にしてきたな
と思うのです

いや
自分では音楽に関しては
「ガワではなく中身が重要」と
わかっているつもりでした

でも頭でわかっていても
やっぱり
わかってないです

技術的に下手な人がいた時
その人の音楽の良さが
あまりよくわからないことがあります

初歩的なテクニックだけで
演奏されている曲を聴いた時に
その良さがあまりわからない時があります

これも「ガワだけ病」です(笑)

中身を聴こうとしていない
聴けてないんです

ずっと一緒にバンドをやってきた友達が
よく周りの音を聴いています

先日
僕のドラムは
叩きすぎの時がある
と指摘されました

曲がすーっと流れている時に
叩きすぎて流れを止めている時がある
というのです

僕はその時にピンときました
他のメンバーがいいか悪いか
いつもわからないのです

つまり彼らの演奏を聴いてないんです
もちろん耳には入っています
しかし
聴けてないんです

だから独りよがりの演奏に繋がるんです

これからは何かが聞こえてくるまで
頑張ってみます

つづく

2009年02月05日

そういえば日本人でした

僕はこんな人選んだ覚えがない

郵政問題での首相の発言が
取り上げられているニュースを見ながら

自分が自分の国の首相を
選んだ覚えがないことに
情けなさを感じていました

昔から政治・経済のニュースが苦手でした
新聞を読みなさい
といわれ始めた頃から
現在に至るまで
結局新聞を読む習慣は付いていません
頑張って記事を読んでも
ほとんど単語の意味がわからず
全く頭に入ってこないのです

昔は劣等感や罪悪感を
感じたりしていましたが
もう自分はそうなんだ
と諦めというか
いつか興味が湧くかな
ぐらいに思っていました

しかし
アメリカでの
ドラマチックな44代大統領の就任
誇りに満ちたアメリカの人たちの顔

それとは対照的な
日本の退廃

そういうのを見ていると

ああ
これではイカン
興味がないでは済まされんな
と思いました

僕みたいな無関心が
ますます日本の政治をダメにするんだと
そう
思いました

別に望んでこの国に生まれてきたわけじゃ
ない気もしますが
生まれたからには
責任があるんですね

義務感は苦手ですが
自分がそうだと思うことは
やっていきたいと思います

つづく

2009年02月07日

仕事はゲームだ

社会生活って
ゲームだなあ

そんな気がします

社内での力関係
取引先との力関係

いろんな場面で
自分を優位に立たせるために
ディベートで
相手に「勝つ」必要があります

そのためには
「理詰めで」相手を納得させる必要が
あるようですが
つい笑いそうになります

物事には常に二面性があるのに
矛盾なく自分の正当性を主張するとは
これいかに…

でも
そのために皆
いろんなことを一面で捉えて
ゲームをやりやすくしています
ルールを作っているわけですよね

遅刻は社会人として論外だ
とか
スーツは最低限の身だしなみ
とか
「常識」を知っておくとか…

いろんな不文律で
暗黙のルールを作って
その土俵の上で勝った負けた
儲けた損した
出世した
というわけです

仕事でライバル関係にある人とは
せっかく知り合っても
表面上の付き合いしかできません
会話の内容にも気を配って
相手に手の内を見せることなく
談笑しながらも
相手にプレッシャーを与えなければなりません
「ナメられてはだめだ」と…

まるでゴッドファーザーの世界です(笑)

ねえ、そんなことより
一緒に音楽を奏でませんか?

そう言いたくなる時があります
でも
それは僕の弱さでもあります
競争には「不戦敗」で
波風を立てたくありません
でも内心自分が勝ちたいと
思っています

傷つくのが怖いんです


「傷ついて来な」

これからは僕が僕にそう言って
旅をさせようと思っています

ずっと横目で見てた
社会のゲームに参戦です!

意外な面白さを発見するかも
しれません

つづく

2009年02月08日

冬の京 日本の風情

今日は
日本中を旅する舞踏家の友人が
京都で公演をするというので
僕にホメオパシーというワードを
教えてくれた友人と一緒に
観に行きました

いいですね~
京都はやっぱりいい

年齢が進むほどに
京都の良さを感じるのは
偶然ではない気がします

肌寒さを
陽射しが癒してくれる
そんな昼下がり
鴨川のほとりを四条から五条に向かって歩くと
色とりどりの美しい鳥たちが
元気に迎えてくれます

舞踏を見たのは
五条にある
古い歌舞練場
周囲にも
ひっそりとした古いお茶屋さんが多く
いい~雰囲気です

前方の舞台の他
左右にも狭い舞台があり
そこに三味線や太鼓の人が出てきて
出囃子を奏でてくれます
観客は板の間に座布団を敷いて観る

僕はこんな舞台で観るのは初めてで
落語がぴったりというイメージです

始まるとすぐに
「この動きはどういう意味だろう」
とか
頭で色々考え始めます
それがうるさくて
自分自身が静かになるのを待ちました
そして解釈をせず
ありのまま観ること
感じることに集中しました

部屋には
大きな石油ストーブが
2台置いてあります


思わず寝ました…笑

いやいや
踊りはもちろん良かったのですが
BGMがまた良かった!

思えば
こういう時に流れる音楽って
気に入らないことも多いんです

でも
今日はとても気に入りました
色んなジャンルをうまく融合させた
斬新かつ心地よい曲が
流れていて

日本の伝統とアヴァンギャルドさを感じさせる
舞踏の内容にもぴったりの感じでした

特に
三味線、歌、笙の笛…かな?
という三人の演奏に
着物の踊り子が一人
という場面で
先日僕が音楽セッションで苦闘した
日本人独特の「間」を感じました

それはとても落ち着くものでした
元々僕が一人の時は
こういうペースが心地よいな~
という感じです

それは紛れもなく自分が
日本人だという証なのかもしれません

思えば子供の頃
小学校か…ひょっとすると幼稚園か
集団生活を学び始めた頃から
本来の自分はこういうペースなのに
周囲のスピードに合わせて
とにかく急いで、派手に、大げさに
生きてきたような気がします

目の前で流れる
三味線、歌、笛…全て
音の間隔が長く
風情を感じる「間」に満ちています

帰りに友人とも話したのですが
現代生活は何かにつけて
ますます「間」がなくなっています

ケータイ、テレビ、インターネットからは
瞬時に大量の情報が入ってきます
考える「隙間」がない

昔は気になるアノ子と電話で話そうにも
家にかけないといけない上に
お父さんに不機嫌な対応をされるので
そう頻繁に話せず
あれこれ想像しました

会う日は時間と場所を事前に決め
当日は
ちゃんと会えるかどうかドキドキでした
ちょっと遅れたり迷っても連絡の取りようがなく
どうしたのかな?と
あれこれ考えます

今ならメールで「電車に乗り遅れた;ごめん」
で終わりです

つまり昔ほど
「間」があったんですよね

電話ができる前
手紙しかなかった時代は
言わずもがなです

それってやっぱり大事だな
と思いました

大人に「間=ゆとり」がないと
子供たちがどんどん追い込まれる

そんな気がします

忙しいからといって
「間」を見つけては何かを詰め込むのではなく
味わいたいものです

つづく

2009年02月10日

新人さん歓迎会

会社に新人さんが
入って来られたので
歓迎会を行うことになりました♪

しかし
そこに至るには
シビアな現実もありました

皆さんご存知の通り

雇用危機が叫ばれています

その一面的な報道の仕方には
いささか疑問の余地はありますが
その辺りはまたの機会にお話しするとして

とにかく
僕の働く会社にも
現実のそういう問題がすぐ目の前にあります

僕が入って2ヶ月も経たないうちに
先輩の派遣社員の方が
やめることになりました

その方の場合は
自分からやめるということでしたが
色々と事情もあったようで
どこまでを「本人の自発的な意思」とするかは
微妙なところです

聞いた話では
派遣社員の人は
本当に突然切られる
とのことでした

普段通り楽しく話していた同僚が
この仕事に「適さない」と判断されるやいなや
もういない…

そんな現実は
同じ立場で働く人たちに
不安を抱かせます

さて、そうこうする内
僕の少し後に入ってきた仲間が
突然「今月いっぱいで辞める」と
言い出しました

周囲の同僚も
上司たちも
これまでと何ら変わらぬ
穏やかな態度…
まるで
何の問題もないかのような
不気味な空気が流れていました

ある意味それは
サバサバした空気でもあります

社会というゲームのルールの中で
「負けた」ということです


さて
そんな中
別れを惜しむ間もなく
後任者として
新しい方が元気に入ってこられました!

別れあれば出会いあり…か

なにはともあれ

「歓迎会やりましょうよ!」
そう上司に持ちかけてみました

すると
ちょっとしぶりながらも
受け入れられました
ただし!
僕が幹事に任命されました(笑)

光栄です!
頑張ります!

こんな時代でも
こんな時代だからこそ
刹那の出会いを
大事にしたいものです

つづく

2009年02月11日

「人生に答えはない。だから信念を持て」

会社で
上司と色々な話をさせてもらう
機会がありました

このブログでも度々(勝手に!)ご登場
いただいている方です(笑)

僕のその人に対するイメージは「グレー」
よく俗世間的な話をする(聞かされる?)のですが
自分の価値観で断定的にものを言い
同意しかねることも多々あります

しかし
迷いがありません

特に仕事の話は
ハーネマンアカデミーで学ぶような
物事の本質的な理解に基づいた話が多く
めちゃくちゃ納得できます

そして
自分のことばかり考えて居そうに見えて
案外、全体を見て
自分のプロジェクトに関わる
全員の成長と安定を考えておられます

だから
白とも黒とも言いがたく「グレー」です
でもそれこそが実に人間臭く
ありのままな感じで
妙な愛着と安心感?を感じます

変な美化もなく
余分な軽蔑もなく

実にニュートラルに
接することができるのです

たとえその人に騙されても
「ああ、やっぱり。大丈夫ですよ
別に信じちゃいませんから」
と思えますし
またその人がいくら素晴らしくても
いわゆる「信じてついていく」ことは
無意味だと感じさせてくれます
彼自身がそんなことを望んでいません

決して会社のために働く意識はなく
密かなビジョンを持っているようですが
自らを「自由人」と称し
僕に対しても
「人生に答えはない。商売と似てる
自分の生き方を見つける必要がある
信念を持つべきだ」と説いてくれます

僕は素晴らしい出会いだと感じています

~~~~
彼は、今後の社会は
「企画する仕事」と「単純労働」に二分化するといいます
いわゆる会社にぶら下がってきた人たちが
切られていく
そして企画力のない中途半端な会社が
どんどん潰れていくと…

これまでなんとか存在できた
「信念を持たない生き方、会社」が通用しなくなる
というわけです

彼は言います
人間、逃げるのは簡単
「まあ適当な給料をもらって
それなりの生活ができればいいや」という
羊みたいなヤツばかり増えたが
将来、絶対後悔するで
「何か残せたのか」と
きっと思う
と…

彼には強制的な空気が全くありません
ある種の厳しい空気は出していますが
常に穏やかで、冷静沈着
会話の切り返しが早く
部下の失礼なほど不満げな態度にも
全く取り合わず
疑問に対する答えだけを
的確に出し
問題を解決します

誰一人
彼にごまをする様子はありませんが
誰もが彼を「上に立つ者」と認めています

つづく

2009年02月12日

「人生に偶然はないからな」

昨日の続きです

今の会社の上司が
とても面白い人物だ
という話なのですが

彼は「自分は女性の扱いに関しては完璧だ」と
公言しています

僕はそういう男性がとても嫌いです(笑)
そんなことを言われても
返す言葉がないというか
冗談ならまだしも
真剣にそういうことを言われると
とてもサムいのです

しかし
彼はこれまで多くの女性と付き合ってきた中で
ケンカ別れをしたことは一度もないといいます
「やっぱり」と思いました
これまでの経験から
この手の人はそうだと思っていました

彼は一人の女性に落ち着く
ということがありません

彼は面白いたとえで話をしてくれました
中華料理の得意な女性がいます
彼女の作る中華料理は大好きだ
でも彼女がフランス料理を作った時
その料理はどこか中華風になってしまう
自分はフランス料理が得意な人のフランス料理が食べたい

僕は言いました
多くの男性は
そこでなんとかその中華料理が得意な女性に
フランス料理もうまくなってくれるように
求めるんじゃないですか?
だからケンカになるのかもしれないけど

すると
こんな答えが返ってきました

俺は適材適所だと思う
他人の人生に干渉はできないんだよ
他人に対して、思い通りにできるという
「所有する」意識が
そもそもの間違いだと思ってる

ほう
なるほど

そこに繋がるか
そう思いました

合っているとか
間違っているのでは
ないのだと思います

でも
交際相手と
けんか別れすることも多い自分にとっては
何かよりよい付き合いのための
ヒントがあった気がしました

そんな上司が言った
印象的なひとこと

人生に偶然はないからな
ミック君がここに来たのも
何か意味があるんやで…

つづく

2009年02月15日

インスピレーションの謎

最近
直感で動くと
うまくいくことがよくあります

直感といっても
僕は元々
いわゆる「霊感」があるわけでもなく
「今、直感でピピッと来た!」
みたいなこともありません

ただ
先日ブログにも書かせて頂いたように
スーパーの納豆売り場で
「小粒」にするか「ひき割り」にするかで
4~5分悩んだりするクセが
ムダに思えてきたので
なるべく早めに決断する(どちらか一方を諦める)
クセを付けていこうと思ったのです

そうすると
基準にするとして最速なのは
ふと思い浮かんだことを選択する
ということです
これは本当に日常普通にある感覚で
何気なく思いつくことをすぐにやってみる
とかそういった感じです

これは僕にとっては
少々勇気がいります
ほとんど瞬時に思い浮かぶことを
何の根拠もなくやるというのは
「いいのか!?こんなに安易に決定しても…」
と不安になってしまいます

でも例えば
スーパーでどっちを買おうかと悩みかけても
最初にこれと思ったものを買って帰ると
家に帰ってすぐピンポーンと
荷物が配達されてきて
「あ~買い物を早く済ませてよかった」
とか

職場で「この仕事は後でやろう」と思っても
つい気になってしまう時は
先に済ませておく
そうすると
すぐ他の仕事を頼まれて
「やっておいてよかった」となる
とか

仕事の帰りに
ふとお好み焼きのニオイがしてきて
普段ほとんど食べないのに
強烈に「食べたい~~!!」と
思ったので作ってみると
めちゃくちゃおいしかった
とか

職場で一人残った時に
他の人に「帰っていいよ」
と言われたけど
なんとなく残っていると
玄関のオートロックを開けてくれ
という電話がかかってきたり

そういうことが
何か最近よくあるのです
(ロクな例が思い出せませんね(笑))

さて先日
同じ会社の
バンドマンとスタジオに入った時に
盛り上がったんだけど
何か違うな~と
思っていると
ある友達から突然メールが来て
「スタジオに入りたい」といいます
そこで「これは!」と思って
例のバンドマンと3人でスタジオに入ってみたんです

すると
予想もつかなかったほどの
大盛り上がりで
ぜひライブを目指してがんばろう!!
ということになりました。

今日の授業の中でも
生徒の人が
「どうも朝からミスをしてしまう時は
1日中うまくいかない」など
不思議ですがわかるようになった
というようなお話をされていたのですが

永松学長はそこで
「そういうことは重要なことです
しかし
よくある精神世界の本などに書かれているように
安易にこれまでの自分の言葉だけで
解釈しないでください

その意味を
よく考えてください」
といわれました

なるほど
不思議ですが
僕もよく考えてみることにします

つづく

2009年02月16日

硬さに気づく

人間
常にやわらかく
リラックスしておかなければならない

というようなことが
よくいわれます

僕の体は硬いんです
物心付いた頃から
ず~っと体が硬く
身体測定でもいつも全く前屈ができず

中学校の時に
せいいっぱい前屈していると
係の人に
「もう始めてもらっていいですよ」
といわれ
「もう始めてますけど!」
と、コントのように答えたという
僕の中で有名な話があります(笑)

その硬さが
自分の普段、無意識の内の
「力の入れ具合」
から来ているらしい
ということを薄々考え始めたのが
何年か前

もうひとつの悩みに
「歯ぎしり」があります
これも昔からひどくて
年々
犬歯の周辺が磨り減って
どんどん変形しています

これも恐らく
寝ている間
無意識の内に
歯に力が入って
ぎりぎりやっているのだ
と思います

そんなことを意識しながら
普段の自分の「力の入れ具合」に
注意してみると

やっぱり
力が入ってるんです

ふと気づくと
肩の辺りにグッと
力を入れていたり
お尻をキュッと締めていたり
歯を噛み締めているような気もします
ペンを持って何かを書くと
筆圧が強すぎるような気がしますし

そういう時に
はっとして
肩の力を抜いたり
顔の筋肉を緩めたりすると
やっぱりかなり違うことがわかります

去年からヨガを習っているのですが
驚くべきことに
こんな化石のように固まった僕の体が
徐々に柔らかくなっているのです!!

前屈も
ほんの1年前までヒザ下に手が届くかどうか
というところだったのに
今ではつま先までもう一歩
というところまできました!

そして不思議に
普段の力んでいる自分に
はっと
気づくことが多くなりました

その都度脱力すると
コキコキと骨が音を立てます
一見「肩こりの証拠」みたいに思いますが
それよりも実は骨の自由度が高い「いい状態」
というような気がします

ちなみに力んでいる時の自分は
自然と両肩を持ち上げて
前に持ってくるようにして
いかにも攻撃を恐れているようです

その度に
あ~心にクセが付いてるな
と思います

怖いから傷つきたくない
だから防御姿勢に入る
体にも力が入りっぱなし
そして意識が「上」にしか居ない感じ

これがまた謎なところではあるんですが
スッと力を抜いて
複式呼吸にすると
すーっとおなかにエネルギーが通る感じ
そして意識が丹田の辺りまで来る感じがするのです

まだまだ謎は尽きませんが
なにはともあれ
体が柔らかくなりつつある

そうするとそれは
心の柔らかさ
にも繋がりそうで
楽しみにしています

つづく

2009年02月17日

集団の中に自分を保つには?

先週末は
大阪の授業でした!
気がつけば
この4月から正式な1年生となる
大阪6期生がどんどん増えています
僕ら5期生が
いつの間にか追い抜かれていて
頼もしく嬉しい限りです♪

6期生の人は
なんというか結果的に
募集期間が長かった?影響もあって
もう何度も顔を合わせた人もいれば
今回初めて参加しました~!
という人もいて
色とりどりの楽しげな学年になっているなと思います

またこれから
自分たちが辿ってきたように
いろんな交流を通して
様々な形に仲間同士の関係が
変化していくのだろう
と思うと
面白いなと思います

最近、いろんな人との人間関係
というか
付き合い方を考えています

これまでの自分はどちらかというと
前回話したように
体や心の硬さ、緊張感みたいなものがあって
人と接する時に
うまく自分を出せていなかった気がします

何か会話を始めると
とにかく何か場をしらけさせないように
とか
自分が人にどう見えているか
などが気になっていたりしました

でも今は
家にいる時間がほとんどなく
社会で人前に居る時間が増えている
ということもあり
そういう「仮面的な」付き合い方
ばかり続けていては
ストレスが溜まる一方だ
と思っています

いつどんな場面でも、どんな人としゃべっていても
なるべくリラックスして自分をうまく出すことができれば
いちいち家に帰って「息抜き」をする必要もないと思います

徐々にそういうことをしています
例えば今こんなことを言ったら
この人との関係が気まずくなるかもしれない
という場面でも
なるべく思ったことをいうようにしています

しかし会話はなるべく相手の話をちゃんと聞くようにしています
というのも
元々ほんとうに自分が「人の話を聞いていない」と
自分でも実感するからです

そうして人の話をちゃんと聞いていくと
むやみに批判的、独善的なことも言えなくなり
「自分を出す」といっても
全体の調和の中でうまく出せるように
考えるようになっている気がします

まだまだですから
何をいっても説得力は伴っていませんが
この方向性はなかなかいい
そう思える手ごたえは確かに感じるんです

具体的な話はまた
もう少しまとまってきたら
書きたいなと思います

人間関係を学ぶには
人の間でもまれるしかないですね~

つづく

2009年02月19日

戦争と平和

昨年の秋頃から
タイのヨガといわれるものを
習っています

恐ろしく体の硬かった自分が
徐々に柔らかくなり
段階が進むに連れて
ヨガの道においても
本質的な学びに
一歩一歩近づいている
ような気がします

以前ご紹介した「ブッタとシッタカブッタ」
という漫画の中に
「体の運転の仕方を知っているブッタ」
というのがあります
ブッタ(仏陀)が
「今から私は右手をあげる」
といって
サッと右手をあげるのです
観衆はそれを見て「おお~」と
どよめくのですが
そんな簡単なことに
何の驚きがあるのかよくわかりませんでした

しかしヨガを深めることで
それの意味するところが
なんとなく感じられてきました

毎回
教室が始まる時は
けっこう頭の中がざわついていて
呼吸を整えて動作をしながらも
あれこれと日常的なことを考えています
体は先生に言われた通りに動かしていますが
ほとんどそのことを感じていません

しかし
時間と共に心が沈静化していきます
すると
頭が体の感覚に集中し始めます
それでも
目を開けていると
弱くというか
ある一定の範囲内でしか感じられません

そこで目を閉じます
すると
頭は体の感覚(であろうもの)を
とても感じます
と同時に
(調子がいい時は)
頭…というより心が
体の枠内ではなく
もっと大きな範囲に広がっている感覚がします

だけれども
グーっと伸びる筋肉の痛みや
内臓がよじれる感じがします

つまり普段より明確に
心と体が別々だという感覚がします

ただ
目を閉じていると
抵抗(痛み)がある部分しか
「体がある」とは感じません

先生は言います
「伸びようとする足を掴んで
引き戻そうとする手と拮抗させてください!」
そしてその対立を感じろ…と
ぎりぎりまでガマンして
それでもさらに引っ張れ!と

限界の限界まできて
大げさに脱力!
ふ~~~~っ


その瞬間
体に温かい血が
ザーッと流れ
えもいわれぬ平和が訪れます…

あ~~~
気持ちいい~~
と心底思います

限界まで対立することで感じる
大きな平和

目をつぶっていると
対立させている時は
体の範囲を超えることはできない

ところが
平和が訪れると
体の枠を感じません

そして必ず
抵抗を与える前よりも
体がちょっと楽に動かせるようになります

体は
まるで自分というものが
「その範囲内のみの存在」であるかのごとく
錯覚させるもの

ヨガなどの本質は
その錯覚を解いていくことだと思います

体によって自分が限界に閉じ込められるのではない
自分が体の動かし方を知るのである

そう思います

つづく

2009年02月23日

日々是ホメオパシー

先日の大阪授業で
ホメオパシーは
「ホメオパシー的な見方をする」ということではない
というお話がありました

例えば患者さんを診る時に
その時は
「ホメオパシー的な見方」をしよう
というように
「ホメオパス」という職業をこなすために
必要な特殊能力ではないというわけです

「人をありのままに見る」

それは
我々がより自分の人生を
素晴らしく生きていこうとする時に
通らざるを得ない道

他の仕事でも実は
全く同じことであるが
ホメオパスの場合、それがダイレクトに
スキルそのものである
というのです

「人をありのままに見る」ことができなければ
始まらない
物事を本質的に見る
普遍的な本当のリアリティーを見ていく
ということが必要になる

自分の現在居る場所に
勝手に自己満足しない
ただ今の自分を否定するのではなく
かといって開き直るといけない

それは
ある意味とてもやさしく
そして厳しいことだと…

誰も結論を決めることはできない
物の道理に身を委ねるしかない

~~~
確かに実生活の中で
日々ひしひしと
感じることでもあります

例えば会社に
どうも自分とは合わない人がいます
果たしてその人を憎んだり
避けたりすれば問題は解決するのか

自分は本当にその人がきらいなのか
よくよく考えると
その人のある態度を
自分がイヤだと受け取っているのではないのか

その人はその人として
ただ生きていて
僕がそれを見て
勝手に怒り、それを相手にぶつけるのだ

そう考えると
どこまで自分勝手な振る舞いなんだろう
と思えてきます

ただ
それを無理に自分に言い聞かせて
そのように振舞っても
どうしても相手を憎んでしまう
というのであれば
自分に嘘をついているので
それも何か違うんじゃないか

そんなことをあれこれと
考えます
考え出すとキリがない
しかし答えは出ない
というよりも
出した答えが正しいのかどうか
わからない

なぜなら
「誰も結論は決められない
物事の道理に委ねるしかない」
から

だから社会生活においては
「それは正しい、間違っている」

何かしら誰かが決めてくれるとわかりやすいんですね

突き詰めれば根拠なんて
あるのかないのかわかりません

何かの基準に従って
簡単に判断するくせをなくしていくと
物事や人の
ありのままの姿が
徐々に見えてくる気がします

日々是(これ)ホメオパシーです

つづく

2009年02月26日

厳しい職場

今日は職場に
新しく来られたスタッフさんの
歓迎会でした

自分が幹事を任されての会だったのですが
結論としては
いやあ~やってよかったな~
という感じです!爽

何を隠そう
僕の職場は
なかなかピリピリした
というか
独特な重苦しいムードが
根底に流れています

職場の性質上
あまりざっくばらんに
私語を話せる空気がなく
各人が心を通わせるコミュニケーションが取りにくく
仕事上のやりとりだけで
一日が終わってしまいがちなんです

そんな中
こういう宴会企画というのは
ちょっとぎこちないムードを湛えながら
進行します

始まる直前も
さあ、みんなで楽しもう!
というノリもなく

所定の時間に
バラバラと集まるという
日ごろのテンションを引きずったままの
スタートとなりました

さて
いざ始まってみると
やっぱり
「イラッと来る」瞬間が多く
なぜ気の合う仲間としゃべるように
気持ちよくしゃべることができないんだろう…

不満を感じていたのですが
いやいや
ここで癇癪をおこしてはいけない

常にその気持ちを引きずらずに
会話することを心がけました

すると段々に
この人はこういう人なんだ
と思えてきて
また
嫌なことばかりいう人ではなく
けっこう共感できることも言っているな
と思えてきて

最後には
楽しい酒
に変わっていました☆

結局のところ
最初のうちは
相手がわからないがゆえに
自分自身のわがままな自己主張が激しくて
思ったように反応しない相手に
不満を感じていたのでした

相手が気持ちよくしゃべっていることに
自分と違うからといって反感を持たず
そうなんだと思って聞いていると
相手からの敵意を感じることもなく
また相手が自分に対して
不満げな態度を取ることにも
同じ構造を感じて
その人も僕の意見を受け入れられずに
苦しんでいるんだ
と思うと
平静に会話を続けることができました

思いやりとはなんなのか

先日の大阪授業から
ずっと考えている課題ですが
その人が気持ちよくしゃべれるように
共感できる話題を差し向けてあげると
その人もハッピーな上に
自分もさほど悪い気分ではないな
と思いました

また
厳しい環境の職場で働く皆が
それぞれに
自分なりの前向きな思いを持っているんだ
ということもわかりました

そして
そこで長く働いている人たちに
男女差を超えた柔軟性
というものを感じました

時間というものは
人間の念が作り出すもの
嫌なことがあっても
そこにとらわれず
嫌な人がいても
そういう人間だと決め付けず

常にフラットに考えられるような
柔軟性を感じました

「男はこうだ、女はこうだ」
という会話をしながらも
容赦ない批判が多くてもどこか男性的なサバサバ感を持った女性
逆に、こだわりの持論を展開しながらも女性的な寛容さを持った男性

長く勤めている人ほど
そういうバランスのようなものを
感じました

まさに
この世の不思議さであり
また面白さでもあるな
と思いました

僕らは生まれた時から
とにかく「男の子はこうあらねば」
「女の子はこうだよ」と
いかにも限定的なイメージを
植えつけられるようにして
生きていきます

また自分でも
世の中が
とにかくそういう
「固定的なイメージ」のものばかりに
見えます

ところが
そういう念に囚われていると
段々うまく生きていくことができなくなり
やがて打ちひしがれて
真実に気がついていく

そんな気がします

誰とでも心穏やかに会話できる
そんな理想に
一歩近づいた気がする夜でした

つづく

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