見ること
ブッタとシッタカブッタ
というマンガを
学校の先輩にお借りしました
これがまた
とても面白いのです
かわいいブタを主人公にした
4コママンガで
仏陀の教えが
楽しくわかりやすく
読めるようになっています
その中に
人間の感覚器官は
心で思ったことを認識する
というのがありました
たとえば
喫茶店で彼女と話している時
目には彼女を含めた全ての景色が
映っているのに
彼女しか見えていない
ということがあります
その時窓の外を横切った車を
後から思い出そうとしても
覚えていないでしょう
また耳には
その場にいる全ての人の話し声
キッチンの音
BGM
外の車の音など
あらゆる音が入っているのに
彼女の話しか聞こえていません
だから後から
BGMが何曲流れたか
思い出そうとしても覚えていません
つまり
人間はありのままを認識するのではなく
心で思ったものを見聞きしている
というわけです
逆に何も考えずにありのままの景色を見ても
何が見えているのか認識できないと思います
全体の中から一部を切り離して
「彼女」と認識するからそう見える
それと同じような話を
斉藤ひとりさん
という方がされていました
人間の魂は映写機だから
「思い」というフィルムを入れ替えれば
起こってくる現実が変わる
と
これはまさにこの話だと思います
彼は中学卒ですが
それをバカにする人間に出会ったことがない
それは自分がそう思っているからだ
とおっしゃっていました
逆に「あんなこと言われた」
「誰々さんにこんなに傷つけられた…」
と延々言ってると
そんな人ばっかり現れますよ
と
人をありのままに
「限りなく近く」認識するためには
そういう「思い」に振り回されないことや
どういった「思い」を持って物事を「見る」か
人と接するか
ということが大事だと思います
僕も今まで他人に対して
知らず知らずのうちに
「○○さんはこんな人」と
レッテルを貼っていたと思います
しかし最近は
それはそれとして
すぐにフィルムを入れ替える?ように
なるべくフラットな気持ちで
何度も何度も同じ人と接するようにしています
そうすると本当に人の色々な面が見えてきて
それらが等価値に見えてきます
すると例えばその人がイヤな態度をとった時
それまで自分にとってその人の「全体」だったイヤな面が
その人の「一部」に見えてきます
だからあまりイヤじゃなくなります
思えば昔
僕は他人に
自分の一面だけを見られて
レッテルを貼られることを
とても嫌がっていました
でもいつの間にか
「お前は○○な人間だ」と
言うような人が居なくなりました
つづく