気持ちの問題
今朝職場のトイレに入ると
便器がけっこう汚れていました
そこでトイレットペーパーを使って掃除をしました
そしてキレイになったトイレを見て
高校時代に教科書に出てきた話を思い出しました
それは、どこかの店に修行にいった主人公が
まずはトイレ掃除を徹底的にさせられて
「なめられるようになるまで磨け」
と言われる話でした
そこでふと思ったのですが
どれだけきれいにしても
便器をなめられるものでしょうか?
同じ陶器でも
お茶碗と便器ではずいぶん印象が違います
もし作りたてのお茶碗と便器があって
お茶碗をなめろと言われたら
すぐにできると思うのですが
便器となると
いくら作りたてだとわかっていても
かなりためらうのではないかと思います
あ、今更ですがあまりキレイな話ではなくて申し訳ありません(苦笑)
とにかくそんなことを考えていたら
これは結構おもしろいことだなと思えてきたのです
なぜ便器の形をしていたら口を付けることをためらうのか…
それは皆が普段からそれを便器だと思い込んでいるからだと思います
とてつもなく多くの人がその形の陶器を便器だと思っているでしょう
だからそれがどうしても便器に見えてしまう
ひょっとするともうそのものに、便器としての自覚?のような
何らかのエネルギーが宿っているかもしれません
そう考えると
人の思い、気持ちの力というのはとても大きいのではないかと
思えます
他のどんなものでもそうでしょう
同じ材質でできたものや、似た形のものであっても
「これは○○だ」と決めています
例えば雑貨屋さんで不思議な形をした商品を見つけた時も
「これ何?」とすぐ考えます
そして店員さんに「マドラーです」などと言われると
「あ~そうなのか」と妙に安心します
そんなのは考えてみると
何に使おうが自由な気もします
2本のマドラーでご飯を食べている外国人を見ると
「使い方を間違ってますよ」と思わず言いたくなりそうですが
「これは有名なアーティストの作ったお箸ですよ」と言われると
納得しそうです
「気持ちの問題だよ」とよく言いますが
本当にそれはとても重要なことではないでしょうか
病気も人それぞれの根深い思い込みに起因すると言われますが
「自分はこんな人間だ」
という思い込みを払拭したいものです
今度からお店に入ったら
それが何なのか聞く前に
何に使えるかを考えてみようかな
つづく



