食べ物を食べる時
僕らは「いただきます」と
いいます
いったい何をいただくのでしょう
先日同期生との間で
普段の食事をつい惰性でしてしまうことがある
という話が出ました
日々の食事を得るために命をかけなくてはならない人は
もちろん言うまでもなく
食事のありがたみを感じずにはいられないことでしょう
しかし僕たちは…
少なくとも僕は
「この食事が終わったら次はいつ食べられるか知れない」
という状況では育ってこなかったためか
つい食事を惰性でというか
「今日は何を食べようかな」
とまるで当たり前の日課のように考えてしまっています
しかし同じような境遇でも
ありがたさに気付く人は気付くでしょうから
それすらも言い訳かもしれません…
とにかく
食事をそんなに安易に考えてはマズイな
と思うのです
授業の中でも、こんなお話がありました
なんとなく自分が「生きている」と
考えている人がいるが
とんでもない
実際は魚を獲ってくれる人
そのための網を編んでくれる人
運んでくれる人
調理してくれる人
その他本当に色んな人たちの助けを得て
僕らはかろうじて生かされているにすぎない
と
そうだと思います
僕は毎晩
食事の前に
それらの人々に
そして食材を与えてくれた自然や神に
思いを巡らし
感謝することにしています
そして
「いただきます」
同期生は
「彼ら(食材)とひとつになるんだ」
と言いいました
それを忘れてはいけないと
そうですね
やはりそこにフォーカスして
感じたい
レメディもきっと同じだと思います
ありがたくいただく感覚
ひとつになる感覚
それを感じながら処方する
それを感じながら処方される
ということは大事なんだろうな
と思います
つづく