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2008年08月 アーカイブ

2008年08月02日

答えは内側にある?

現代社会に起こっている様々な問題を考えた時
そこには共通した流れがある気がします
それは
内側から外側へという流れです

何か問題が起きた時
多くの人は責任を追及し
悪者を探します

つまり自分ではなく、他人が悪い
というわけです

テレビでも連日
教育問題だ医療問題だとして
犯人が悪い、教育制度が悪い、首相が悪い
と言っています

またビジネスや遊びの対象も
外へ外へと求めているようにみえます

地元ではなく、東京へ
日本ではなく、海外へ
そして地球ではなく、宇宙へ

一般医学も悪者を外に求め
薬や手術で除去しようとします

しかしその考え方はよくわかります
何でも、あたかもまるで外にしかないように見えるからです
ある意味それは当然の思考だと思います

通り魔がAさんを傷つけたら
悪いのは通り魔に見えるし
他人が自分を傷つけたら
悪いのは他人に見えます

自分にないものが他人にはあるような気がするし
地元にないものが東京に
日本にないものが海外に
地球にないものが宇宙にあるような気がします

これは以前に書いた時間の問題にもあてはまる気がします
時間はあたかもまるで過去から未来に向かって流れているようにしか見えません
だから過去になかったものが未来にあるように思えます

以前、商売をしている親戚が
「金は追いかけても入ってこない」と言っていました
僕はその意味がよくわかりませんでした
金を追いかけるとは?
商品をより多く売るということ?
だとすればそれは当たり前のように見えるのですが…

しかし実際は多分その逆なんだろうと思います
売ろうという発想ではなく
逆にお金がかかることでも
人のためにそれをしよう!
…という発想がやがて収入に繋がったりするのではないでしょうか

他のことも何でもきっとそうで
本当の答えは「一見それとは逆の方」に隠されているのではないでしょうか

ホメオパシーは人を診ます
症状はその人の、その人なりの表現と捉え
その人の内側にある本来の力を呼び覚まします

何でも答えを外に求める前に
内側を見つめるようにしたいと思います

つづく

2008年08月03日

メッセージを感じる時

少し前の話ですが、日常の中で
メッセージがきたな、と感じることがありました

といっても
僕が憧れていたような超能力的な閃き
という感じではありません

誰かと会って話をする時、それが仕方なくである場合でも
「この言葉(メッセージ)を聞くためにこの人と喋ったのだな」
と思うことがよくあったのです

ある日
若手の仕事仲間と話をしていました
僕のイメージでは、彼はその仕事にはイヤイヤ従事しており
すぐに手を抜こうとするため、彼に対しては
ある種「見下げた」ような感情を持っていました

その日も他愛のない会話をしていたのですが
彼が、これまで自分がやってきたスポーツを後輩に教えている
という話題になりました

僕が、それを教えることでお金をもらっているのかと聞くと
彼はボランティアだといいます
そして、彼はこういいました
「自分ができることを、次に伝えていかんと意味ないっしょ」
僕が相槌を打つとさらに
「せっかく自分が身につけたこと、次に伝えていかな、意味ない…」

彼は同じことを2度いいました
目は遠くを見るように、じっと前を見ていました

僕はその時
これはメッセージではないかと思いました
そしてこの言葉を聞くために喋っていたんだろうと…

彼から聞いたこの言葉は、お前も自分のやってきたことを次に伝えなさい
ということをいうと同時に
人を一面で判断してはいけないよ、誰もが素晴らしい面を持っているんだよ
ということを伝えている気がしました

つづく

2008年08月04日

テレビが映らないのはなぜ?

仕事の関係で
電柱に登る職人さんたちと行動を共にしています

今日、ある苦情が発生しました
ある電柱からテレビの線を引き込んでいる地域の住民が
「最近、テレビの映りが悪くなった」
というのです

職人さんは実はテレビが専門ではないのですが
1本の電柱には、電気、テレビ、電話などの線が一緒に付けられています
以前その電柱を新しく建て替えた手前
その人が対処することになったようです

現場に到着すると
既に数人の住民が集まり
騒いでいました
「なんとかしてよ~テレビは唯一の楽しみなんやから」
住民の一人は懇願するように言いました

職人さんはさっそく電柱に上がり
テレビの線を繋いでいるボルトを締めました
「これでどうですか?」と
彼は下の住民たちに聞きました
ボルトの内の1本が緩んでいたのです

住民たちはさっそく家に帰ってテレビを点けてみました
しかし皆、残念そうな表情で家から出てきました
「アカン…」
「前より悪くなったわ」

そこで
おかしいな
とばかり職人さんは思いつく限りの点検を電柱の上で行いました
専門家の人に電話で問い合わせたりもしていました

そのうち
さっきテレビを唯一の楽しみだと言った住民が
「電柱なんか替えんかったらよかったのに…」
と言い出しました

職人さんが黙々と作業をしている間に
その人は何度も何度も同じことを言っていました
そして「電柱が新しくなってから映りが悪くなった」とも…
電柱を替えたのは2ヶ月以上も前の話です

結局
テレビの映りは良くなりませんでした
原因不明
後日、専門家が改めて直しにくるから
ということで一応の納得をしてもらい
僕らは現場を去りました…とさ

~~~~
目の前で絵本のように展開されたこの話には
将来ホメオパスとして人を診る時にも
十分注意すべき問題が含まれているな
と思いました

つづく

2008年08月08日

「生きる」こと ~ライブに学ぶ~

僕は楽器を演奏するのが好きで
バンドやサポートなどでマイペースな活動を続けているのですが

先日、素晴らしいミュージシャンと共にライブをさせてもらう機会に恵まれました
彼は「生きる」ということに正面から向き合い、音楽だけでなく様々な芸術活動をしながら世界中を旅して
その素晴らしさを人に伝えています

そんな彼の元には同じように生と向き合い、死と向き合う人たちが集います

彼と話をしていると
まるでハーネマンアカデミーで教わっているようなことを教わります
ほとんど全く同じことを言われているような気がします

僕はふと気になり
彼が慢性症状や病気を抱えていないか聞いてみました

答えは「ノー」でした
健康体そのものだということです

しかし病気について、彼は必ずしも忌むべきものではなく
そこから何かを学び取るためのものであり
死についても、人は必ずその準備ができた瞬間に死を迎えるのだろうと理解していました

数多くの死の瞬間に立ち会ってきた彼にとって
Quarity of life を高めることに生きる意味がある
という考えは自然なことのようでした

彼は決して正義を気取った人ではなく
自身、若い頃にはどうしようもなく堕落した経歴を持っていて
話をしていても決して人を裁くような発言がありません

そんな彼に「善悪」について尋ねてみました

すると
この世に「罪」はおそらくない
人はどんな人間であっても
ありのまま生きていればそれでいい
罪があるとすればそれは
「今」を生ききらないことだろうね
…という答えが返ってきました

これらのこと
それから色んな話をして
僕はハーネマンアカデミーで学んでいる
「健康」というものについて
なんとなく理解したつもりになっていたことが
言葉以上のところでようやく実感として理解でき始めたかな
という気がしました

ホメオパシーはレメディーによって
病気を治癒させる
しかし単にそれだけではないはず
病気をどんな風に考えるのか
なぜ病気の人を癒したいと思うのか
また
そういう発想自体がどうなのか
自分は一体何者なのか…

まず人はありのままでいい
という前提の元に
より調和の取れた状態を目指す

まだまだ言葉にはなりませんが
これからも考え続けていきたいと思います

つづく

2008年08月11日

いい時も悪い時も…全部自分!

先週は自分の気持ちの中に大きな波がありました
前回のブログに書いたライブ開催前後は
精神性を重視したような心の状態で
その状態はライブの日にピークを迎え
優しさや感動に対して感受性が強く、自分が他人に対して開いている感じでした

ところがそれから2~3日経つと、今度は急激に
心が物質世界に縛られるような感じになりました
日常生活をただこなす作業に縛られ
あまり優しい気持ちや感動するような心(の余裕?)を持てず
他人に対しても閉じた状態になりました

ホメオパシーのレメディには
「熱さで好転、または悪化」
というような症状の説明がされていることがよくあります

これは通常の一般医学に慣れ親しんでいると
ちょっと混乱してしまう説明ですよね
症状が好転しても、逆に悪化しても同じレメディだというのなら
「熱さ」を考慮に入れる必要がないじゃないか

と思ってしまいがちですが
実はこれは、その人が非常に「熱さ」に敏感だということで
重要視されます

永松学長が講義の中で
レメディ(つまり人)には
何かの軸で貫かれている部分が必ずあって
それはその人がそういう軸で硬直してしまっていることだ
という表現をされていましたが

先週の僕の心の動きにも
何らかそういう「ひとつの軸上で硬直している」感覚がありました
その軸の上端は精神的で開いている感じ
下端は物質的で閉じている感じです

軸の上端まで行って一気に下降したのか
はたまた上端は下端に繋がって円になっているのか
わかりませんが
とにかく僕の意識の上ではとてもショックでした

なぜいつも穏やかで開いた状態で居られないのか…
学んでひとつ賢くなったと思ったものが
一瞬にして逆戻りしたような感じです

しかし学校の同期生が今日
アドバイスをくれました
いい時があって悪い時もある
それら全部が「自分」だから
悪い時だけを取り立てて
落ち込む必要はない…と

あ、そうか
そうなんだな
と、とても気持ちが軽くなりました

また明日から頑張れそうです

つづく

2008年08月13日

人が見ている世界

昔からよく考えていたことがあります
それは、人間の目に見えている世界ではなく
「本当の世界」ってどんなだろう?ということです
人間の目に見える色と見えない色があるといわれます

それは光の波長で決まるらしいのですが
紫より短い波長は見えず、紫~赤の範囲は見えますが
赤より長い波長は見えない
つまり僕らが見ているのは一部だということです

もっと他の色も見えるようにできていれば
色んなものが空中を漂っているのが見えるかもしれません
また、他の人が見ている色と自分が見ている色は本当に同じなのでしょうか?
僕が赤だと思っている色と他の人がそう思っている色を比べることはできないのです

どんなにがんばっても僕は僕の目を通してしか物を見られないのだから
それこそ目玉を取り替えでもしてもらわない限りはわからないでしょう

また、小さすぎて見えないものもあります
微生物なども見えませんし
顕微鏡を使っても見えない素粒子(確かそうだったはず)の世界などもあります

他に、速度が早すぎて見えないものもあります
蚊などは高いところをフラフラと飛んで
わざと急降下しますが
それだけで僕らは簡単に見失ってしまいます
マジックなども早くて手元が見えないことで
騙されてしまうわけですが
人間の目とはその程度のものだということでしょう

だからあまり目に見える世界だけを過信しすぎてはいけないのだと思います
見えないけれどもなんとなく感じる、ということを大切にし
他人に伝えたいことも
ひとつのことを色んな角度から説明するなど工夫し
大雑把に「自分と同じ」と決め付けず
自分との違いをなるべく正確に認識できるようにしたいものです

つづく

2008年08月14日

虫たちの王国で日焼け!~カンタリス出動~

今日は夏休みのお楽しみ!
ということで
学生時代からの友達3人と
ウォーキングにいきました

いつも一緒に歩くメンバーなのですが
今回は三重県亀山市の関宿へ向かいました

数年前に浜松からスタートしたウォーキング
旧東海道を歩いたりしながら
少しづつ大阪へ向かい
前回の続きで関宿からの出発となったのです

この関宿はとても素晴らしいところで
江戸時代からの重要伝統的建造物が並び
要するに町並みが江戸時代そのままのように
美しく残されているのです

もちろんそこには今も多くの人が
生活をしておられるのですが
電線等は全て地中に埋められ
広々とした空に加太の山々が映ります…

さてそんな関宿を満喫した後
僕らは加太の山を越えて西へと向かいました

今日の天気は快晴!…ばかりというわけでもなく
途中曇ったりすることも多かったのですが
それが返って紫外線を強力にしたのか
気が付けばまるでお酒を飲みすぎたかのように
手足が真っ赤っ赤になり、ヒリヒリし始めたのです

夜、帰宅してお風呂の湯をかけると焼けるようにヒリヒリしました
これはちょっとまずいなと思い
レメディーを飲んでみることにしました

そこでテキストで日焼けについて調べてみると
ベラドンナとカンタリスが載っていました
ピンときたのはカンタリスです

加太の山々を越える間
僕らは森が動物や昆虫たちの王国であることを
思い知らされました

まるでコンサートのように輪唱して鳴き続けるセミたち
人間が来ると警戒態勢を取り
偵察に来るトンボやハチたち
歩を進める度に足に絡みつくクモの巣
そして食事をしていると
お構いなしに体に上り
ご飯にたかるアリやハエ、小さな羽虫たち…

そんな彼らの国で
体に刻んだ日焼けでした

今夜はスペイン蝿のレメディー
カンタリスを飲んで寝ることにします

夜は曇りで流星群が見れなかったな~

つづく

2008年08月16日

真の問題解決のために

初めてこの学校の体験セミナーに参加させてもらった時
永松先生の講義の中で
「本来の医師が何をすべきか」というお話がありました

その中で、一番簡単そうに見えて実は一番難しいのが
「何が治癒されなければならないのかを見極めること」
「治癒の妨げになりうるものを取り払うすべを心得る」
の2つだということでした

例えば小さい子が周囲に打ち解けずにオドオドしているとします
母親がそれを心配して
ホメオパスの元に相談に来ているのですが
母親が非常に支配的で、子供に学校であったことを
全て話させたりするとします

人間には自分自身のスペース、自分の秘密がある程度必要なのですが
母親は、子供が自分で勝手に成長していくことが不安でたまらないのです

こういった場合に
母親の問題を考慮に入れずに、子供にレメディをあげるだけでは
真の問題解決にはならないということです

ホメオパシーは特殊な治療法でもなんでもなく
医療とは1種類しかないのであり
「道理に基づいているもの」ただそれだけである、と

つまり真の問題を解決するために、できることを全てする
ということが重要であり
それはもちろん土台となる食生活、社会生活、その他全てのものを
できるだけ整えていくこと
レメディを飲むことはそのうちの1つでしかない
ということを教わりました

これは本当に納得のいく話で
僕の友人にも
「風邪になれば注射を打ってもらえばいいよ、一発で治るから!」
「風邪薬は所定の2倍ぐらいの量を飲んだ方がよく効くよ」
という人がいます

僕も以前はなんとなくそんなものだと思っていましたが
こういう発想自体が真の問題解決からはズレていると思うし
もし本当に「効く」のだとしたら
とても恐ろしいことだと思います

つづく

2008年08月18日

都会の海 その1

仕事の夏休みも最終日となった日曜日
彼女と海へ出かけました

兵庫県は須磨の海
関西人にとっては身近な海水浴場といえるでしょう

ところがまあ、まずは行ってがっかりな感じです
ビーチ一面に広がるのは
あまりお上品ではない感じの若者たち
そして足下には彼らが捨てていく大量のゴミたち…

そんな状況に気後れしつつも水の傍までいくと
わ~海だ!
というイイ気持ちになります

そして水の中へ入って浮力を感じていると
徐々に周囲の雰囲気にも馴染んできました

透明度も低く、タバコの吸殻やコンビニの袋を浮かせた海

それでも海はなにか大切なことを伝えてくれます

やがて砂浜に上がって寝ころんでいるうちに
自分のリズムが穏やかな空気や
寄せては返す波の音に同調していくかのように感じられてきます

僕らはふと、波打ち際に漂うコンビニ袋を拾い
それからしばらく、黙々とゴミを回収しました

うちわ、空き缶、空きビン、ペットボトル
タバコの箱、吸殻(禁煙なのに!)、紙コップ、レジャーシート…
やがて潮が満ちてきて、さっきまでどこかの女の子たちが作っていた砂の城が、波に浸され始めました

僕はこの城をモンサンミッシェルと名付けました(笑)

つづく

2008年08月19日

都会の海 その2

そしてついにモンサンミッシェルが洪水に陥落したとき
東の空には第二の太陽かと見まごう
大きな赤い満月が昇り始め
浜辺まで光のじゅうたんを敷いてくれました

僕はあれだけ拾ってもちっとも減らないゴミの中を
帰りの駅まで歩きながら
生きていくとはこういうことなんだろうな

妙に納得した気持ちになっていました

ゴミをかき分けて座るところを見つけ
煙の隙間から星空を見上げ
騒音の中から波の音を聞き分けて
そうやって充電しながらやっていくんだな
と…

いつ吸えるかもわからない
きれいな空気を待って息を止めていたら
窒息してしまうのかもしれない

マナーの悪い人やゴミの山にストレスを感じるより
それにはサラッと然るべき対処をして
その中にキラッと光る素敵なことに心を躍らせよう

家に帰ると
僕たちはなんとなくパソコンを点けずに
キャンドルに火を灯して
体に残る波のリズムを感じながら寝ることにしました…

つづく

2008年08月22日

人のために生きる

以前、永松学長の講義の中で
「極小世界での物質のふるまいは
人の心の動きと似ていると感じた」
というお話がありました

これについて同期生との勉強会の中で話し合っていました
分子生物学に詳しい生徒によると
例えば水の分子間ではお互いに激しく水素原子や酸素原子がくっついたり離れたりしている
つまり分子の状態はとても不安定であるということでした

しかしそれは柔軟性に富んだ状態であるともいえると思います

そしてその状態は
「我々が他人や他の物質と微細なレベルで絶えず何らかの情報を交換している」
ということを示しているのではないでしょうか  

自分と他人
人間とガラスや鉄などの物質は
同じような構成要素を持っているにも拘らず
全く違った姿形をして存在している…
そう考えると
「この世界の自分以外のものは全て
自分とは全く違った形で存在していることによって
自分というものを際立たせてくれているのではないだろうか」
と思えてきました

つまり他のものは、人も含めて全て
自分のために生きてくれているとも考えられます
そうなると
自分も当たり前に「他人のために生きている」
といえます

以前Kim先生が
人のために生きることの喜びには、他のどんな楽しみも及ばない
というようなことをおっしゃられたのですが

人のために生きるということは
実は自然なことで
何か一念発起して目指すというよりも
元より人は他人のために生きているということに「気付く」
という感覚なのかもしれません

日々自分の身に起こる
全ての「しんどいこと」も
他人をその人として輝かせるためだと思えば
何かとても意味のあることのように思え
張り合いが出るような気がしました

つづく

2008年08月24日

魂を磨く場

最近
仕事が肉体的にハードなこともあり
なかなか勉強する時間が取れずにいました

その上
学校自体も夏休みになり
ますます勉強に向ける
気合いが入らず
日常をこなすことに精一杯という
毎日が続いていました

せっかくこれまでに習ったことを
復習しておくチャンスなのに~
とやきもきする思いで…
かといって時間ができても
つい日常に流されていく自分に
絶望混じりの焦燥を感じていたのですが

そんな折に
永松学長から
貴重なアドバイスをいただきました

それは
「そんな風にできているんだよ」
という
なんともあっけないほどのことでした

勉強したことというのは
実践を伴わなければ
砂上の楼閣にすぎない

実際の日常に活かされてこそであり
魂が磨かれる場所は
実はリアルな日常生活の場にしかないのだ
…と

だから当然
そういう流れになっているのだと
いうお話でした

僕は本当に救われました

せっかくの勉強時間や意欲までを削られているような
気分になっていたのですが
実は全く逆で
順調に進んでいるということだったんですね

ようし
存分に日常を生きよう!

つづく

2008年08月26日

SMC

久しぶりに学校へ行ってきました
SMC(セルフメディケーションコース)といって
全6回のいわゆる入門編的なコースがあるのです

4年制のディプロマコースの学生であっても
SMCに参加することができます

全く初めてホメオパシーに接するという人は
まずこのSMCを受講し
その後4年制へと入学する人が多いようなのですが
僕の場合は勢い余って!?
いきなり4年制から入学してしまいましたので
SMCを受けるのは初めてなのです

さて!
このSMCは4年制とはまた違った魅力を持っています
講師の方を始め、参加している先輩生徒さんたちの
温かい空気と非常にためになるお話がベースにあるのは4年制と同じですので
とにかく授業に出席するだけで心が充電されるというメリットは共通点なのですが
4年制のディプロマコースとはまた違った角度からレメディを勉強することができ
またより身近に講師の方や皆さんとの交流ができるので
普段の授業よりも多くコミュニケーションできることもあり
見逃せない貴重な時間となっているのです

そんなわけで、今回も授業内容から発展して
参加している先輩生徒さんたちから
「合気道」の話や「元素」の話など、多くの興味深いお話を聞くことができました

毎回感心することなのですが
ホメオパシーに気付かれる方というのは
本当に勉強家で、様々な素晴らしい知識や特技をお持ちの方が
多いです。だから僕にとっては他の生徒さんたち全てが先生であり、また
集う人全ての、それまでの人生・個性が尊重されている学校だからこそ
皆さんのお話がたっぷりと聞けるというのも
ハーネマンアカデミーならではの魅力じゃないかな
と思っています

つづく

2008年08月29日

いただきます

食べ物を食べる時
僕らは「いただきます」と
いいます

いったい何をいただくのでしょう
先日同期生との間で
普段の食事をつい惰性でしてしまうことがある
という話が出ました

日々の食事を得るために命をかけなくてはならない人は
もちろん言うまでもなく
食事のありがたみを感じずにはいられないことでしょう

しかし僕たちは…
少なくとも僕は
「この食事が終わったら次はいつ食べられるか知れない」
という状況では育ってこなかったためか
つい食事を惰性でというか
「今日は何を食べようかな」
とまるで当たり前の日課のように考えてしまっています
しかし同じような境遇でも
ありがたさに気付く人は気付くでしょうから
それすらも言い訳かもしれません…

とにかく
食事をそんなに安易に考えてはマズイな
と思うのです

授業の中でも、こんなお話がありました
なんとなく自分が「生きている」と
考えている人がいるが
とんでもない
実際は魚を獲ってくれる人
そのための網を編んでくれる人
運んでくれる人
調理してくれる人
その他本当に色んな人たちの助けを得て
僕らはかろうじて生かされているにすぎない

そうだと思います
僕は毎晩
食事の前に
それらの人々に
そして食材を与えてくれた自然や神に
思いを巡らし
感謝することにしています

そして
「いただきます」

同期生は
「彼ら(食材)とひとつになるんだ」
と言いいました
それを忘れてはいけないと

そうですね
やはりそこにフォーカスして
感じたい

レメディもきっと同じだと思います
ありがたくいただく感覚
ひとつになる感覚

それを感じながら処方する
それを感じながら処方される

ということは大事なんだろうな
と思います

つづく

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