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2008年07月 アーカイブ

2008年07月01日

「ひらめく」自分になりたい

授業でsepiaというレメディーについて学びました
その時(sepiaは甲イカのスミからできたものですが)
甲イカというのは外から見ると
くにゃくにゃしているのに
実は中には堅い芯がある感じで

その性質は
sepiaの人の特徴をよく表している
という話がありました

これはいわゆる特徴表示説が
正しいかどうか、という議論の発端になりそうな話題ですが

僕は個人的には
どんな理論であっても、どんな時にもそのまま使えるというものは
ないような気がします
例えばこの世の何かを研究して「○○説」と言ったとしても
それはなんというか
その土俵の上だから通用する話であり
あらゆる角度から議論した時にも
完璧に矛盾なく答えられるようなものではない
と思うのです

これはホメオパシーを勉強するようになって
特に思うことなのですが
この世の中のことは
どんなことであっても
矛盾なく完璧に説明のつく理論のようなものは
ないような気がします
つまり
どんな説にでも反論しようと思えばできるのではないか
と思うのです
しかし同時にまた
世の中である程度の支持を得るような説というのは
「絶対に間違いだ」と否定できるようなものは
あまりないのではないかとも思うのです

だから
大切なことは
ある説がピタリと当てはまる場面で
うまくそれを察知できるか
という直感力のようなものを磨くことだと思うのです

少なくとも
ホメオパシーにおいては
治癒するということが重要なのであって
そのためには五感(あるいはそれ以上!?)を最大限に敏感にし
あらゆる角度から病気の治癒に関するサインを
察知する必要があると思うのです

そのためには
特徴表示説のようなものが
正しいのかどうかを考えるよりも
そう思わせるヒントが目の前に現れた時に
頭で否定せずに、そのヒントから治癒に迫る情報をキャッチできるようになりたいのです

つづく

2008年07月02日

「自分と同じだ!」は思い込み?

ホメオパシーを勉強するようになって
自分の中で変化してきたことがあります
それは
他人の言動に安易に共感しなくなった
ということです

例えば自分と趣味が同じ人
あるいは
同じような経験をした人がいた場合に
つい「あ、それ僕もわかりますよ~」
と簡単に共感しがちです

しかし
他人と同じ経験をしたというのは
妄想というと極端に聞こえるかもしれませんが
少なくとも自分自身がそう思い込んでいるだけで
自分と他人には、必ず何らかの差異があるのだと思います

こういうと冷たく響くかもしれませんが
実はその逆で
それは本当の意味で
他人をあるがままに理解するために重要な考え方だと思います

もちろん人間は
これまでの人生経験に照らし合わせて
他人の気持ちを理解しようと
無意識のうちにしていくものだと思います

しかし
常に相手の個性を尊重し
自分と違うところを発見し
「その人はどう感じたのか」を
ありのまま理解しようと努めること…
その繰り返しが
自分の「人間理解」力を高めるのだと思います

というわけで
僕は楽器演奏が趣味なのですが
もしあなたが僕に
「MICKさんと同じ、楽器が趣味なんです!」
と言った時に
僕がさほど共感しなかったとしても
決して冷たい男だと思わないでくださいね(笑)

より正確にあなたの感じたままの世界を理解しようと
しているのですから…

つづく

2008年07月03日

7メートルが15センチに見えた!?

先日の授業で
錯視・錯覚の話題になり
人間の目は意外にあっさり
騙されてしまうものだということを
思い知りました
全く同じ色でも
周りの配色によって
濃く見えたり薄く見えたり、また静止画が回転しているように見えます
あるいは
本当は直線なのに、背景に曲線があると
そのパターンによって内側に湾曲していたり、外側に膨らんでいるように見えます

今日
ダイビングのインストラクターをしていた
ある友人が
こんな話をしてくれました

海外などで
非常に透明度の高い海に潜っていると
あまりの透明感に
海底や水面までの距離感を見誤ることがあるそうです

スキンダイビング(素もぐりのこと)をしていた時
浮上中に水面までの距離を
約15センチほどだと判断し
肺の中の空気をほとんど吐き出してしまったそうです

ところが
実際にはなんと約7メートルも
残っていて
あやうく溺れそうになった
という話です

目に入ってくる情報やこれまでの経験から
無意識のうちに「そうだ」と判断してしまったのです

これは
ダイビングに限らず
日常の様々な状況で起こり得ることだと思います

7メートルが15センチに見えたのです!
つまり
それほどまでに「あたかも、まさしくそうであるかのように見えた」
ということです
これこそが「先入観」であり「偏見」に繋がることだと思います
視覚が先入観を作るのか、先入観が視覚を歪めてしまうのか…

僕たちは年齢を重ねる毎に
無意識のうちに何万通りという先入観による判断で
日々の出来事をこなしていると思います
対人関係においてもそうだと思います
実際、日々接する他人に対して
どれだけ、その人の真意や感じ方について
正確に理解してコミュニケーションを取っているでしょうか…

そう考えると
日常で「彼はこう言ったからこう思っているに違いない」と無意識のうちに判断していることは
正しいか否かに拘らずほとんど自分の先入観だと思えてきます
そしてそれをいちいち相手に確かめることもなく
次の日がやってくるわけです

自分が「どう考えてもこうにしか見えない」と思っていることに限って
実際とは違っているのかもしれません…
そういったことの繰り返しで偏見を固めてしまわないように
なるべく日々、新たな気持ちで他人に接し
相手の言葉や感情の正確な意味を
感じ取れるようにしておきたい
と思いました

つづく

2008年07月04日

より高邁な目的のために生きる

ハーネマンアカデミーという学校の名前にもなっている
ハーネマンとは
ホメオパシーの創始者、サミュエル・ハーネマンのことですが
彼はその主著「オルガノン」の中で
人間の病気がなぜ治癒されるべきなのか
について
「より高邁な目的のために」生きるためである
と書いています
「高邁(こうまい)」とは
大辞泉によると
「志などがたかく、衆にぬきんでていること。また、そのさま。」
とあります

これは驚くべきことです!
え?当たり前ですか?(笑)
そう思える方は素晴らしい心構えをされていると思います
僕にはこの言葉はとても感動的に響きました
ただ病気を治したい
というのではなく
より高邁な目的に生きるため
という目的があるからこそ
病気を治すべきだ
ということです

つまりそれは
自暴自棄な生活を見直しもせずに
ただ「病気が治る便利な薬が欲しい!」と言われても
根本治癒には繋がらないですよ
ということだし

6/27のブログ「時間の秘密」に書いた
「結果から全てがスタートする」
という話にも繋がってきます

まず「人生の高邁な目的」が必要だということです
そこからスタートです
そして
それを達成するために必要なことが
健康に生きることだ
ということなんですよね…!

あ~
それってなんと
感動的なことなんでしょうか!!

実に理に適っていて美しい!
考えれば考えるほど興奮してしまいますので
この辺で(笑)

つづく

2008年07月05日

キム・エリア先生と

海外からの講師であるキム・エリア先生が
大阪に来られたので
授業後の飲み会に参加させていただきました

こういった世界的なホメオパスに身近に触れられるところも
この学校の大きな魅力ではないかと思います
皆いろんな質問をしていました
その中で、これまで何人の人を診てきたのか
という質問がありました
先生のホメオパス歴はなんと20年以上
そしてこれまでに診てきた人の数は
はっきりとはわからないが
4000人以上ではないかとのこと

4000人…
普通に考えると
それだけ多くの人と
接することだけでも大変なことだろう
自分はこれまでの人生全体でも
それほど多くの人と話しただろうか?
全く見当もつかないが
それほど大きな数字ということだ

改めて
世界のホメオパシーの大きさや歴史というものを
感じた気がしました

また
先生の夢は何かと聞かれて
世界の歴史を教えることだと
笑顔で答えられました

そこである方が
ホメオパシーのセッションとも共通点があるね
と言われました

ホメオパシーのセッションも
人の人生の歴史を紐解くこと
過去を知ることで
現在何が起こっているのか
ということを理解する

なるほど
まさに共通点です
そして人を理解するには
その人の歴史を理解することが大切なのだ
ということだと思いました

先生はホームページに掲載されている
永松学長との対談でも
歴史を学ぶことの重要性を強調されていますが
それは
先生が持つ
人に対する深い愛情から来るものなのでしょう

また
酒の席だけに
先生は奥さんと1日どれぐらいキスするのか
といった砕けた質問も飛び出しましたが(笑)
そんな質問にも笑顔で答えてくれました!

え?何回だったかって?
そこは世界のホメオパス!
これまでに診た患者数に勝るとも劣らない数でしたよ…!?

つづく

2008年07月06日

本物は探して見つけるもの?

今僕が住んでいるところは
都会の真ん中です
街には
様々な有名ショップ、おしゃれショップが並び
人は溢れ帰り
情報が氾濫しています

そんな中
休日の街を散策してみました

まず
誰もが利用するような一般的な
大型の本屋さんへ行き
健康というコーナーがあったので
見てみますと
ホメオパシーの「ホ」の字も
見当たりませんでした

都会の真ん中なのに…
とがっかりしましたが
まあそんなものだろう
という妙な安心感みたいなものも感じました

次に
フェアトレードにこだわった商品を扱う
素朴でオシャレな雑貨屋さんへ行きました
そこには
数冊の本も売られていて
それは
環境問題や発展途上国への援助の実態など
様々な社会問題について
利益を得ている側の人間が語るのではなく
本当の問題点をわかり易く解説した本や

フェアトレードについて解説した本

そして
家庭でできる自然療法
について書かれたぶ厚い本でした

それらの本が大切に
解説付きで紹介されていました

自然療法の本は
本当にありとあらゆる病気について
おばあちゃんの知恵袋的な
家庭で手に入る薬味などを使った
治療法が載っていました
実際に大正生まれの方が書かれた本で
本当に貴重な本
まさにお宝発見!!
の気分でした

そして思ったことは
一般の大型書店のように
誰もが日々、簡単に入店するような所で
敢えて探し回らずとも手に入る情報
つまり「受動的」に近い形で手に入る情報は
やはりそれなりであることが多く

本当に重要な情報というのは
能動的に探す姿勢を持ってこそ
手に入ることが多いのではないか
ということです

前述した、社会問題の本質を解説した本に
東北地方のある町が
持続可能な社会を目指した地産・地消を推進し始めた
という話題が載っていました(その本の発行年からすると、少し前の話だと思われますが)

ホメオパシーも今
都会ではなく
地方でそれを求める声が強くなっているそうです

なんでも
そういうものだと思います

巷にあふれる
強制的に押し寄せてくる情報
その波とは離れたところに
本当に重要なことが
ひっそりとあるのかもしれません

つづく

2008年07月08日

夏 ~花、蝶、萌える息吹~

最近、いよいよ夏が来て
本当に街中の自然が活き活きしています

家庭の軒先に
赤・黄・紫・水色…などの花が
咲き乱れて甘い香りを発します
それに呼び寄せられて
どこからともなく
アゲハ蝶たちがやってきます

なんと平和で幻想的な光景でしょうか
色とりどりの花が甘い香りを発し
美しい蝶がやってくる…

その様子を見ているだけで
本当に心が癒されます

蝶の神秘には本当に圧倒されます
子供の頃は葉の上をよちよちと歩く
芋虫で
いかにも「華のない」容姿ですが
さなぎを経て成虫になると
突然美しい羽根を持った蝶となり
花から花へと自由に飛びまわれるようになります

このことは一体
僕たちに何を教えてくれているんでしょうか

考えてみれば
花というのも
咲くまでは
土の中から生えてきた緑や茶色の茎や葉っぱだけの存在で
全く地味で目立たないのに
急にカラフルで美しい花を咲かせ
甘い香りを発します

この美しい時のために
これまでの地味な生活があったのか
という感じです

そこへ
同じく長い月日を地味に過ごした
美しい蝶がやってくる
しかもヒラヒラと優雅に…

どんなに世知辛い都会の片隅にも
誰に見られるためでもなく
そんな素晴らしいパフォーマンスが
繰り広げられているのです!

ちょっと喧騒を離れて
静かな路地へ入れば
夏の熱気の中に
彼らの命の息吹がまるで
聞こえてくるかのように感じられます

そしてそれはすごい勢いで
萌えています

つづく

2008年07月09日

ムカデが出た!~前編~

昨日の夜
家にムカデが出ました!
体長10センチぐらいの!!

不思議なことに
ムカデが出る時は
ほんのちょっとした
「パサッ」とか「カサッ」という音で
気付くことが多いです

昨日もちょっとした物音で
ん!?まさか…と思って
押入れのふすまを開け閉めしていると
うねうねと這い出してきました!

僕の反応はいつものように
うおおお!出たー!という感じで
アタフタアタフタ;;
僕の中の防衛軍が緊急出動して戦闘態勢になります

そして敵を完膚なきまでに撃滅するのですが
昨日だけは
敵が押入れの奥に隠れて見失った時に
もうこのまま寝てもいいかな
と思いました

昔はとにかく怖くて
まさかこんな危険で不気味な虫と同じ空間に寝られるわけがない!
と思ったものですが
なんとなく気持ちに余裕があったのです

結局その後にょろ~っと出てきたところを
あっさりほうきでやっつけましたが
この気持ちの変化は僕にとっては大きなものに思えました

そしてふと
今後あまりムカデは出なくなるんじゃないかな…
と思ったのです

小学校を卒業するくらいまで
僕はアシダカグモ(人の手のひらぐらいある足の長いクモ)が
大嫌いでした
怖くて怖くて
家の中で見かけると
逃げるか追い出すか
徹底攻撃していました
毒もないのに明らかに過剰防衛でした

ところが不思議なことに
ある時期から
パッタリと怖くなくなり
その後はあまり出会う機会もなくなったのです…

他の昆虫は好きだったんですが
これらの虫には異常な恐怖心を持っていました
こういうルーブリックに関するレメディはどんなものがあるのでしょうか?

長くなりましたのでまた明日…

つづく

2008年07月12日

ムカデが出た!~後編~

最初 ムカデが怖いというルーブリックスで
調べてみました
すると
そのものは見つけられなかったのですが
「昆虫に咬まれることへの恐怖」というのが見つかりました

そしてそこには
abel という聞いたことのないレメディーが載っていました

アベル?
さっそくマテリアメディカで調べてみると
手持ちの本では載っていない!
それでますます探究心をそそられ
インターネットで調べてみると
abel moschus
という美しい花を咲かせるアオイ科の植物のレメディーだとわかりました

これはオクラの仲間で
特徴のひとつは
「特にヘビと昆虫に対する恐れ」
とあります
そして「これらの動物に襲われないため
過剰に防衛する」
とあります

僕は他の多くの昆虫は好きですから
ちょっとズレた気はしますが
過剰な防衛という意味では合っているかもしれません

いずれにしてもこのレメディーには心惹かれるものがあり
詳しく読んでみると
原物質である植物は
国によってさまざまな形で
民間療法に用いられているらしいです

そしてジンバブエでは
泌尿器系の病気の治療に用いるといいます
僕は泌尿器系が弱いので
ムム…!
と思ったりもします

実際の臨床では
その恐怖がどこからくるのかという
心の問題を解き明かさなければ
このレメディーを選択することはできないと思いますが

ひょんなことから心に残ったレメディーでした
今回なぜかムカデに対する恐怖を乗り越えた気がする僕ですが
もしもこの植物と泌尿器系の病気に何らかの関係があるとすれば

僕の症状も良くなっていくんでしょうか…??

つづく

2008年07月14日

病気の意味とは? その1

病の意味とは何か
ホメオパシーの勉強をしていると
そういうことが気になったりします

週末の授業の中で
そういうお話が出ました

しかし
この問題については
創始者であるハーネマン自身がその著書の中で
繰り返し「病気の原因を探そうとする必要はない」と強調しています

医師の使命は病を治癒させることであり
症状には全てがありのまま表現され尽くしていて
何か隠された本質があるわけではなく
それらを
あれこれと説明しようとすることは
医師の仕事ではない
としています

しかし僕個人的には
時として
病気やケガなど、症状というものが
いかにもメッセージ性を帯びたような
タイミング、内容で表れ、気になることがあります

最近何度も同じ所を壁にぶつける
とか
体の片側にばかり症状が出る
といったようなことです

こういうことが起こると
さすがにそこには何かあるんじゃないか?
という気になります

学校の授業では
確かに物事には
偶然はあり得ない
なんらかの意味がある
と教わりました
しかしそれと同時に
それを「○○という意味だ」と
単純に決め付けてしまうことは難しい
ということも学びました

人はつい「思い込んでしまう」ということがあります
いかにもそうだと思えるようなタイミングや場所で
病気やケガが起こると
「このケガは○○しなさい、という意味なのだ
だから○○をすればいいのだ」
とそれだけに捕らわれてしまいがちだということです

しかし
それほど一筋縄でいくものではありません

つまりそれだけ
病気の意味を特定するのは難しいのでしょう

つづく

2008年07月15日

病気の意味とは? その2

「病気の意味」を知るのは難しいのか?
という話のつづきです

自分の場合に当てはめて考えてみると
最近、近しい人がしょっちゅう手をケガします
治りかけてはまたケガを増やしたりするので
いつになれば完治するのか
という思いと共に
何かそのケガがくれているメッセージを理解して
それを解決しなければ
治らないのではないか
という気にもなります

真相をはっきりと知ることはできません
例えば最近手を使い過ぎなのではないか
すると
「手を休めなさい」
というメッセージがそこにあるようにも思えます
しかし
だからといってそうだと決め付けられません…

僕はこれまで
ひとつの本を読んで
もし「A」だと書いてあれば
たちまち「A」だと思い込み
「B」と書いてあればまた「B」かと右往左往することがありました

しかし
それではキリがありません
そしてそれは
本当の意味で「わかる」ということではなく
ただただ溢れる情報に振り回されているだけです

それではその意味が本当にわかる時とは…?

授業では
そういうことが「わかる」時というのは
自然と立ち上がってくるものであって
わざわざ探すものではない
と教わりました

なるほど
確かにそういうものだという気がします

色んな本に様々に解釈されていることは
病気の意味のひとつかもしれないし違うのかもしれない
だから
「そうかもしれないな」と思って
進んでいけばいいのだと思います
それだけで判断してはいけない
しかしそういうことを考えているからこそ
「自然と『わかる』が立ち上がってくる時」があるのかも
しれません

つづく

2008年07月16日

善悪ってなんだろう?

以前勤めていた会社の友達が
会社を辞めたいと言い出しました
僕は実は嬉しく思いました

なぜなら僕はその会社のしていることが
「よくないことだ」と思っていたからです

彼もついにそれに気付いたか
と思ったわけです

ところがよく聞いてみると
そうではなく
彼はそこで身に付けたスキルを活かして
キャリアアップしたい
というのです

そこで僕はあることに気が付きました
それは、人のしていることが
よいか悪いかはその人次第だということです
僕はその会社のしていることを
「悪いこと」だと思っていましたが
彼は「それを求めている人たちのために、望むもの
を提供しているのだ」という捉え方をしている為
罪悪感は持っていませんでした

つまり
「会社が悪いことをしている」というよりも
「僕が悪い仕事をしていると思っていた」
ということです

僕は
彼に僕の価値観を押し付けるべきではない
と思いました

と同時に
僕はやはり、その仕事をすべきではないのだと
改めて思いました

僕はどうしてもその仕事を
悪いと感じるのですから
僕にとっては「悪い仕事をすること」になります

善悪
というのはそういうことだと思いました
(それで全てがわかったとは思いませんが…)

自分の中で価値観が変われば
またそれに従って修正すればいいと思います

いずれ体験するであろうホメオパシーのセッションにおいても
他人の職業や行動を、自分の価値観に照らし合わせて
判断することのないようにしたいと思います

つづく

2008年07月18日

責任以上の仕事

今の職場に
尊敬している人物がいます
彼は同い年で
普段は気の合う友達なので
なかなかそんなことを口にはできませんが

彼は常に自然体で
ことさらに何かを語るでもなく
いつも「責任以上の仕事」をします

ここで僕がいう
責任以上の仕事とは
初めから仕事の定義としてある
いわゆる「マニュアル」以上の仕事をするということです

僕らは別の業者の人と
チームを組んで仕事をします
そこで僕は
彼らの仕事の邪魔にならないように
自分たちの仕事を全力でこなそうと考え、行動します

ところが彼は違います

その業者の人たちが
少しでも効率的に仕事ができるように
常に考えながら
自分たちの仕事を全力でこなします

この違いがおわかりいただけるでしょうか…

彼は「常に」…
まさに常に彼らの仕事を考えながら動いています
だから
彼らの仕事の流れを覚え
暇さえあれば手伝います

ある同僚はいいます
「若い奴が来ると彼の真似をして困る」と

つまり仕事を覚えたての若者は
彼の動きを見て「形だけ」真似をしようとします
すると
肝心の「最低限自分がこなすべき」仕事(マニュアル的な部分)が
おろそかになり
ミスをするのです

彼から何を学ぶのか
が重要だと思います

彼は自分の利益を考えて動いているのではなく
常に他人の利益を考えて動いています
そしてそれが自分の利益に繋がっているのです

彼は会社からも
その業者からも厚い信頼を得ています

しかも彼は
そんなことを一言も語らず
おくびにも出さずに
さりげなく
僕を気遣ってくれます
ボーっとしてると
僕がそんなことに全く気付かないように…

つづく

2008年07月19日

レメディーの勉強は”ざんげ”の時間!?

今日授業を受けていて
ふと思ったことがあります

それは
レメディーを勉強する授業の間中
なんともいえない
「ホロ苦い時間」を過ごしている
ということです

ある意味それは苦痛である
ともいえるほど
苦い思いです

レメディーというのは
基本的にその人の症状像を示すもの…
つまり病の元にあるものを表しているので
いい面についてはあまり語られません

人間の
なんともいえない
いや~な面についてのことが多く
例えば
目下の人には高圧的な態度を取るが
目上の人には手のひらを返したようにゴキゲンを伺う
とか

な~んか
毎回自分のことをチクチクと
指摘されているような感覚になってしまうのです(苦笑)

そんなわけで僕はよく「自分のレメディーはこれなんじゃないか…」
と思ってちょっと暗い気分になったりするのですが
よく使われるレメディーというのは
多かれ少なかれ誰しも「あるある!」と共感するものだ
と聞いたこともあります

確かに
毎回「あるある!」と思っているうちに
どんな人にも
とても共感できる「心の痛み」というものがあるんだな~
という気持ちになってきました

まだまだ数種のレメディーしか知りませんが
こういうことを重ねていくうちに
本当に色んなレメディー(人)を理解し
共感し
許し
癒し
ひとつになろうという大きな心に繋がっていくんだろうな~
という気がします

というわけで
今日も6時間を費やして
ある人の人生を共に旅した気がします
共感と懺悔にも似た気持ちを抱きながら…

そして
授業が終わった時
自分の中の「そのレメディー的な部分」が
癒された気がします

この学校での授業というのは
本当にありがたく神秘的な体験でもあるなと思います

つづく

2008年07月22日

宝物

新たな仲間を迎えるために
大阪校で1日体験授業が開かれました

そこで皆でまだ見ぬ新入生たちに
メッセージを書こうということになりました(同期生の素敵な発案です)
僕は改めて
この学校の素晴らしさを伝えるにはどうすればいいかを考えました

そして僕がこの学校で何を学ばせてもらっているのかを
改めて考えてみました

出てきたのは「宝物」という言葉でした
色んな言葉が去来しましたが
この言葉を贈ろうと思いました

この学校に入るかどうか
もし悩んでいるとしたら
やる理由、やめる理由を考えても
結論は出ないと思います

なぜならこの学校で学ぶものは
ほとんどの人にとって
100%といってもいいぐらい
「未知のもの」だと思うからです

入る前に
いったい入学したら
どういうことになるのか
それは理屈ではわからない…
「予感」とか
肌で感じるような「何かわからないがスゴい感じ」
みたいなものを頼りにするしかないと思います

そうすると
ハーネマンのいう通り

Aude Sapere
迷った時はあえて一歩踏み出しなさい

これしかないと思います
僕も前回の体験授業で
初めてこの学校に触れました
その日の日記にこう書いています

「今日という日は36年にわたる僕史の中で、燦然と輝いている(中略)
今、そしてこれから僕自身が癒されるステキな旅が始まるだろう…」

思えばあの時感じたものは間違いではありませんでした
そう!
ここには宝物があります☆

つづく

2008年07月23日

GOD’S WORK

先週末
Kim先生が素晴らしい授業の最後に
こんな言葉を残してくれました

GOD’S WORK

ホメオパスの仕事は
人を癒すことで自分もHAPPYになれる
これは神の仕事=GOD’S WORKである…と

だからWORK HARD!
とにかく頑張って勉強せよ
…と

僕はこの言葉を聞き
神の仕事とは
どれほどのものなのか
考えてみました

以前読んだシュタイナーの人智学の本に
人間が神の領域を目指して生きると
どうなるのか
ということについて
書かれていました

簡単にいえば
最後は自分の中の最大の魔物と対決することになる
というようなことが書かれていました
魔物とは「恐怖」です

人間は自分の中の恐怖と対決する時
他の何も頼りにできず
たった一人で正面から戦うことになる
というのです

そしてそれはとてつもなく大きな魔物で
おいそれと人間が神の世界に入ってこないように
見張っている番人なのだといいます

表現の仕方だけをみると
なんだかファンタジーのようですが
言っていることは
あってもおかしくないと思います

僕の場合
日常のあらゆる場面で
自分が逃げてしまう時は
突き詰めれば自分がかわいくて
自分の利益を優先している時です
どんな時でもそうです
それは自分が不利になるのが怖いからだと思います
飢えの恐怖
病気の恐怖
貧困の恐怖
争いの恐怖…
僕はいつも恐怖というものの恐ろしい姿を敏感に察知して
無意識のうちに逃げています

神が自分の利益を優先するでしょうか

つまり
神の領域に踏み込もうと思えば
自分自身の恐怖という
とてつもなく大きな魔物と
対決しなければならない時が必ず来る

という話は
多いに納得がいくのです

そしてそれに打ち勝ってこそ
他人を癒すという
尊い仕事に全身全霊を捧げることができる

GOD’S WORK
…神の仕事

その言葉の重みと
とてつもなく素晴らしいことを
学ばせてもらっているという感動に
打ち震える思いがしました

黙ってWORK HARD!
やはりこれしかないようです(苦笑)

つづく

2008年07月25日

勉強会

同期生の間での勉強会が
すごい盛り上がりをみせています
…といっても各人の心の中での話ですが(笑)

皆、ホメオパシーの本質的な部分にハートを熱くしているメンバーなので
「レメディーの勉強をしよう!」と集まっても
やがて話は「生きるとは何か!?」というような
方向に行ってしまいます(笑)

気が付けば何時間も過ぎていて
必ずどこかの店で、閉店を告げる「蛍の光」を聞きながら
後ろ髪を引かれる思いで解散します

思えば昔、NHKの「真剣10代しゃべり場」という番組を見て(今もやっているんでしょうか?)
自分にもしゃべらせてほしいと思っていたものです
もっとも、あんな風に荒っぽく言い合う自信?はないのですが
「真剣30代しゃべり場」を作ってほしいと真剣!に思っていました

思えば
今それがこういう形で実現しているのだと思います

メンバーは皆
「他人の意見に耳を傾ける」性質を持っているので
それぞれがそれぞれの意見を受け止め、消化し、取り込んでいる気がします

その証拠に
最近、皆の発言がとても冴えてきています
ホメオパシーの本質、人として成長していくこと、
先生の話、参考文献で読んだことなどについての
深い理解がクリアになってきていると思うのです

永松学長が最初の授業でいわれた
「今後、勉強を進めていけば、あらゆることがどんどん繋がってきます」
ということが徐々にわかってきた気がします

前回も皆で
「ちょっとこの勉強会はムービーに撮っておいた方がよかったな!」
などと冗談めかして話していたのですが
今後またこのブログでその面白い内容を紹介していければ、と思っています

つづく

2008年07月29日

パッチアダムス

パッチアダムスという映画を観ました
これは実在の人物を題材にした映画で

一言でいうなら
「まるでホメオパシーじゃないか!」という内容でした(笑)

主人公のいうセリフがいちいちホメオパシーっぽくて…
というより永松学長の話そのものという感じで
本当に驚きの連続でした

映画の内容は…
自殺未遂で入院した男が
ある入院患者を助けたことで急に目覚め(逆に教えられ)
本当の意味で人を治す仕事に就こう
と決心します

そして医科大学に入学します
しかし彼はいわゆる権威を振りかざして
ふんぞり返っている医者(学校の教授たち)をお手本にはしていません
だから「医者になりたい」といっても
周りの学生とは次元が違っていて
「医者と患者は同等」と言ってみたり
皆が病名で呼ぶ患者さんにまず名前を聞いたり(「病気」を診るのではなく「人を診る」ということ)
患者さんに病気の話をせずにとにかくハチャメチャなことをして笑わせたり…

周囲がとまどうことばかりします

そんな彼も卒業の時期を迎え
教授たちに審議にかけられます
その時の彼と教授たちとのやりとりは見ものです!
「僕はあなた方にとってトゲのような存在だが
それは一生抜けないトゲだ。僕はあなた方が認めなくとも
真に人を癒す、本当の意味での『医師』になるのだ!」
という力強いスピーチは多くの学生・看護士たちの心を打ちます
さあ、果たして彼は無事、卒業することができるのでしょうか…!?

というストーリーですが
彼は学生時代から無料の診療所を作って活躍するなど
革新的な働きをします

そして彼の残した言葉や姿勢は心に響きます

人から奪い取るより、与える方が豊かな社会になる
人に尽くすが、その見返りは期待していない
私はすべてを失いましたが同時にすべてを得ました。病院の患者やスタッフと時を過ごして、共に笑い共に泣い

た。生涯そう生きたい

これらはまさしくハーネマンアカデミーで教わっている精神と共通していると思います

彼がピエロの鼻を付けて患者のベッドをトランポリンにして
大はしゃぎしているところを教授に注意され
「笑い」がもたらす効果について詳しく語るシーンがあります
僕はこれがとても素晴らしいと思います
笑いの効能について詳しい知識を持っていても
人前ですぐにハチャメチャなことをやって笑わせられる人が何人いるだろうか?
また逆に、人前でバカばっかりやっているようで
実はそれによって人を癒すのだという信念を持っている人が何人いるだろうか?

僕はそんな人間に少しでも近づけたらな~
と思うのです

つづく

2008年07月31日

地球温暖化

今、一日中、外に居る仕事をしておりまして
地球温暖化について
実感せざるを得ない日々を過ごしております(笑)
皆さんそうだと思いますが
連日33度を超えるという暑さの中で
ついにこれは殺人的レベルに達しているな
という気がします

アル・ゴア氏の
「不都合な真実」という本を読むと
本当にその恐ろしさを肌で感じます
そして今すぐに少しでも生活スタイルを変えよう
という気持ちになります

これについてどうでしょうか?

僕はこの話を人にした時
思わぬ意見にぶつかりました
地球の温暖化は「二酸化炭素が増えたから」という理由からではないし
こういうことを言い出したおかげで「エコロジー産業」というものまでできて
既にビジネス化している

人類はとにかく「○○のせい」という敵を作って
それを駆逐することを考えるが
本当の問題はそこじゃない気がする…

実はこれは同期生の間で出た意見なんですが
それがとてもゆるぎなく本質を突いているような気がしたので
喜び勇んで「皆で温暖化を止めよう!」的な意見(行動?)を広めようとしていた自分が
たしなめられたような
なんともいえない惨めな気分になりました

そこでそれから色々と考えてみたのですが
自分の中で確実なことは
この先どんな代替エネルギーが出現しようとも
「ムダなエネルギーを使いすぎないように、こまめにスイッチを切る」とか
「移動といえばまずは徒歩→自転車→電車の順で考える」とか
そういったことでした
つまり「○○が原因だからそれだけを使わなければいい」という発想ではない
そもそも自分が生きて生活をするだけでエネルギーを消費し
ゴミを出すのだから
出来る限りシンプルライフを目指そう
ということ…

しかし
こういう意見もありました
エアコンの温度を上げればいいといっても
何度で不快に感じるかは人それぞれによって違う

確かにその通りです
それにホメオパシー的な意見でもあるな
と思いました
症状にしても「熱さで悪化」する人と「好転」する人がいます
ということは
真に健康という視点でみた場合
画一的に「エアコンの温度は○℃にしましょう」といえる問題ではない…

そこをさらに掘り下げると
人それぞれに軸というものがあって
その人がこだわっている点が違うのだ
と思えてきました

ポイ捨てをするなと言っても
そんなことは、はなから大事だと思っていない人がいて
誰かがやってくれる、自分の問題ではないと思っている人がいて
温暖化だ核問題だと騒いでもそれに興味を持つ人はいつも大体決まっているかもしれない
そのつど対策とされることを実践する人もいれば
人に説いてまわる人もいる
そしてそれをビジネスに変える人がいる
そんなやつらの言うことには踊らされないぞ
と思っている人がいれば
大多数の人たちがやり始めれば
態度を変える人もいる

そして皆
それぞれが重要に思っている問題にはしっかりと取り組んでいる
のかもしれない

何だかそう考えると
結局「自分がどうなのか」ということに尽きるのか
という気がしました
自分には
少なくとも今、この問題が響いたのです
そしてこれまで以上にムダを省き
できる限りシンプルライフを実践したいな
と思ったのです
だったら自分はやればいい

初めの勇ましさはどこへやら
すっかり意気消沈した僕に
同期生が「今、MICKが感じたことを書くべきだ。今しか書けないことかもしれない。でもそれが大切だ」
といってくれました
その言葉に後押しされ
諦めかけていたこの話題を書くことにしました

つづく

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