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2010年08月 アーカイブ

2010年08月01日

輪嶋東太郎さん、ベーチェチョルさん、平常(たいらじょう)さん、そして一色信彦先生のこと (5)

いろいろと書いているうちに、
ヘッセの「シッダルダ」の一節や、
中島誠之助さんのことを思い出しました。

中島さんは、「何でも鑑定団」での名ゼリフ、
「いい仕事してますねー」
ですっかり有名になられました。
中島誠之助さんについては、また書きたいと思いますが、
あるインタビュー番組の中で、
このようなことを述べられていました。

「中島さん
よく本物、偽物が分かりますね、
と言われます。
まあ修行していますから、とかいい加減に答えていますが、
本物、偽物が分かるなんて当たり前なんです。
プロなんですから。

タクシーの運転手さんに、
右折の仕方が上手ですね、とか言わないでしょう。
当たり前なんです。
本物、偽物がわかるなんて。

そんなことが重要なのではないんです。
本当に重要なのは、
本当に素晴らしいもの、「出世」するものを
掘り当てられるか、
そこなんです。

あの名品は中島が掘り出したんだそうだ、
中島が掘り出したあの壺が、どこどこの美術館に飾られている、
あの茶会で使われたそうだ。
本当に中島は目利きだ。

そういう真に素晴らしいもの、
出世したものを見出したとき、
自分の手元にはないんです。
あるのは心の勲章なんです。
心の勲章、
それが大切なんです。」


そして、番組の最後に司会者から、
「次世代の人たちに伝えたいことは何ですか?」
と聞かれたとき、こうお答えになりました。

「素晴らしい美術品を見たら、
まず純粋に感動してください。

すべては感動から始まります。
素晴らしい美術品を見て、
あー素晴らしい、と感動する。
その感動こそが美を創り出す源泉なんです。

美術品で一儲けしようなどと、考えないでもらいたい。
儲けようとしないでください。
「儲かるもの」なんて、この世にはないんですから。
儲けようと思っていくら「知識」を身に着けても、
そこには美はありません。
感動なしの知識なんて、
単なる欲に過ぎません。
欲の柱をいくら建てても
美の殿堂は建たないんです。

だから、バブルの時のように、
お金が余っている時も駄目なんです。
突然お金が余って、
何を買おうかな、
何か儲かるような、
投資に良さそうなものはないかな、
こんな時はだめです。
そこには美はないんです。
ゴミです。

まずは素晴らしいものに対して、感動してください。
それがすべての始まりです。
感動の上に知識が乗っかってはじめて
真の美の殿堂が建つのです。

ですから、恐れてはいけないんじゃないでしょうか。
恐れてばかりいると、欲しか残りません。」

こういう素敵な話をされて、
とても深く感動したことがありました。


輪嶋さんのお話を聞いているうちに、
またそのことを思い出しました。


つづく

輪嶋東太郎さん、ベーチェチョルさん、平常(たいらじょう)さん、そして一色信彦先生のこと (6)

輪嶋さんからお誘いを受けて、
初めて平常(たいらじょう)さんを観たのが、
4月末でした。

ちょうど新入生歓迎会を、
西麻布の「あだち」でやっていた時、
思いもかけず輪嶋さんから留守電が入っていました。

以前からぜひ一度観たい!と思っていた、
平常さんの公演が池袋であるとのこと。
4月は1年の始まりということもあり、
なかなかスケジュールが厳しい日程だったのですが、
幸いその日は大丈夫だったので、
喜んで池袋に参りました。

その日は寺山修司原作の「毛皮のマリー」です。
平さんは、すべての公演をたった一人で行うのです。
あの「毛皮のマリー」を一人で・・・
どんな公演なんだろう、
という興味津々でした。
あの輪嶋さんが、
完全に打ちのめされたという平常さん・・・
http://www.voice-factory.com/myvoice/log/eid35.html

あいにくの雨模様でしたが、
わくわくどきどきして出かけました。

池袋のその劇場は、
シアターグリーンという、
とても雰囲気のある、階段状の小劇場でした。

そこで、約2時間弱・・・・・・・・・・・・・・・・

ふーーーーーーー

何ともいえない時間が過ぎました。
その時の時間を、どのように表現したら良いのか、
未だに分かりません。

それはそれは○○○○○○だったのですが、
ただ、素敵とか、素晴らしいとか、
そういう言葉では表現できないのです。

そしてまた、
平常さんという方に対して、
「人間」というよりも、
「不思議な生き物」(失礼!)
とでもいうような
本当に不思議な感覚がありました。


つづく

2010年08月02日

輪嶋東太郎さん、ベーチェチョルさん、平常(たいらじょう)さん、そして一色信彦先生のこと (7)

そして、輪嶋さんから平さんの公演が、
7月末に西新井であるとお聞きしました。
「お花のハナックの物語」
という子供向けの公演とのことでした。

・・・・・・・・・・・・・
というところまで書いたところで、
朝日新聞のホメオパシーについての報道のニュースが
入ってきました。

これからしばらくの間は、
ホメオパシーについての基本的議論の場に
なってくると思います。
時間の都合で、
コメントに直接お返事をすることは
難しいと思いますが、
コメントを拝読しながら、
その内容をブログの内容にも
反映させていただきたいと思います。


ですので、平常さんのお話・・・
「お花のハナックの物語」のこと、
残念ながら、
この続きは少しお休みします。

でも、ぜひぜひぜひ観てください。
平常さんは、全国各地を飛び回って、
素晴らしい舞台を毎日魅せてくださいます。


私はしばらく基本的議論について
毎日書いていると思いますが、
きっとくたびれる時もあると思いますので、
「息抜き」に、また書かせていただくと思います。

うーーーん  心残りです・・・・・

つづく・・・・・・・本当につづく です・・・・・

2010年08月03日

雑感 マジョリティー、マイノリティー (1)

先日の大阪セミナーの時、
松本丈二先生が、
「真実は常にマイノリティー(少数派)の中にある」
というお話をされました。

それはきっと事実です。

真実を見極める力を持っている人は、
ホンの一握りしかいないので、
確かに、結果として
「真実は常にマイノリティーの中にある」
ということは、
シンプルに事実なのだと思います。

といって、もちろん
「マイノリティーだから真実だ」
ということは成り立ちません。

逆は必ずしも真ならず、です。


ところで、
私はマイノリティーという言葉を、
普段思い浮かべることは、まったくありません。
といって、マジョリティー(多数派)という言葉も
思い浮かべることがありません。

きっと、マイノリティー、マジョリティー、ということが、
今の自分には何も意味を持っていない、
ということなのだと思います。

ただ、考えてみれば、
私自身、世間一般から見ると、
「マイノリティー」の中に入るのでしょう。
例えば、私は在日韓国人です。
もちろんそれに伴って、
さまざまな「いじめ」的なことはありましたし、
また、今はホメオパシーという
「マイノリティー」の医療に関わっています。
いわゆるバッシングも
日常的に受けています・・・気にしたことはありませんが・・・

でも、私は今、
自分がマイノリティーだ、と思うことは、
まったくありません。
そういう視点は、今はまったくないのです。

しかし、思い起こせば、
私の若い頃は、
まさに「マイノリティー意識」
「マイノリティーひがみ根性」
「卑しいマイノリティー根性」
に満ち満ちていたのです。

その頃、私は被害者意識の塊でしたし、
「臆病な自尊心と傲慢な羞恥心」で身動きできず、
非常にひがみっぽく、
人をうらやむことが多かったように思います。

いわゆる「マイノリティーの悲哀」
に満ち満ちていたように思います。

なぜ自分は他人と違うんだ!
なぜ自分は韓国人に生まれたんだ!
なぜこんなにいじめられなければならないんだ!
というように。

もうすっかり忘れていることが不思議なくらい・・・


その後、韓国人であることは、
22歳の時に起こった怒涛のような半年間の中で、
根本的解決をしていきましたが、
その後も、
「マイノリティー意識」は
それなりにあったように思います。


つづく

2010年08月04日

雑感 マジョリティー、マイノリティー (2)

若い頃の「もはやそう卑しくはないマイノリティー意識」について
明確に書いている文章を思い出しました。

2008年4月8日のブログ
「ブログを始めるにあたって ホメオパシーとの出会い(3)」
の中から、以下抜粋します。


***********************

アメリカ・フランス留学時代、
学友からよくこう言われました。
「君の言うことは、とても面白いし共感するけれど、
君のやろうとしていることは、「仕事」にはなりえないよ。
君は単なる哲学者でもなければ、
単なる物理学者でもなければ、
単なる文学者でもなければ、
単なる歴史家でもなければ、
単なる音楽愛好家でもなければ、
単なる武道家でもない。

どのようなジャンルにも入らない。
それは、ある意味素晴らしいことだけれど、
逆に言うと、君は何者でもない、
ということでもある。
君はいったいどうなるんだろうね。」


このように言われて、
その度に、
嬉しいような、
悲しいような、
誇らしいような、
みじめなような、
何ともいえない思いを味わっていました。

「自分の居場所がない」、
「誰にも理解されない」、
「宇宙に独りぼっち」

「でもソクラテスや、仏陀や、
キリストや、デカルトや、パスカルや、
ニーチェや、ショーペンハウエルや、
フロイトとは、いい友だち」

そういう感覚を深く持っていました。

しかし、それが全て逆転したのです。
これは、正にコペルニクス的転回とでも
呼ぶべき、画期的な転回でした。

「ついに道が見えた。
今こそ明確に私の進むべき道が見えた。
そうか、これに出会うために、
今までの遠回りに見える人生があったのか」
という思いが私を圧倒しました。

今までやった全てが
両手両足を伸ばしてここに活きてくる。
ただ単に、「どんなことも全てに通じるものがある」
という抽象的なことだけではなく、
全ての具体的なことが、
ひとつひとつすべてその本来の場所を与えられ、
全てがそっくりそのまま活きてくる、

そういう圧倒される感覚でした。

(引用ここまで)

*************************


考えてみれば、私の中から
「マイノリティー意識」
もしくは「卑しいマイノリティー根性」
がほぼ払拭されたのは、
この瞬間からだったのかもしれません・・・

もちろん、それ以前にも重要な契機はありました。
非常に大きいのは、
物理学者のハイゼンベルグでした。
2008年12月17、18日の、
「目的は手段を正当化しない」 (1)(2)
をお読みいただければ、と思います。

http://www.hahnemann-academy.com/blog/2008/12/post_65.html
http://www.hahnemann-academy.com/blog/2008/12/post_66.html

これによって、
私の中の「卑しいマイノリティー根性」が、
粉々に粉砕されたのです。

ハイゼンベルグは、正々堂々と王道を行きます。
本当の正統派というのは、素晴らしい!
すごいもんだ!
と心から思ったのでした。

しかし、考えると、
「本当の正統派」というのは、
「マジョリティー」ではありません。
結果として、あくまで結果として、
極めて少数派です。
しかし、「マイノリティーの卑しさ」の、かけらもありません。
真っ直ぐ、王道を進みます。

もちろん私はまだまだ凸凹だらけの人間です。
ただ、昔に比べると、
いわゆる「ひがみ根性」については、
随分と無くなってきたように思います・・・
こう書くと、
「なんだ! 昔はもっとひどかったんだ!」
という突っ込みも入りそうですが・・・


ところで、
世の中の「マイノリティー」の方に、
「卑しいマイノリティー根性」が染み付いていることが多いのと同様に、
世の中の「マジョリティー」の方も、
「卑しいマジョリティー根性」が染み付いていることが多いように思います。

「卑しいマジョリティー根性」が分かりやすく現れているのは、
いわゆる「人種差別者」です。

「人種差別者」の顔の、何と卑しいことでしょうか。
しかし、それは「人種差別者」に限ったことではありません。
「マジョリティー根性」を持っている人は、
よく似ています。

正に、人種差別者と同じような卑しさがあります。


今回のホメオパシーバッシングの報道の姿勢や、
コメント類に、
「マジョリティー根性」が
見え隠れしていないでしょうか?


敬愛する湯川秀樹先生や
朝永振一郎先生はよく嘆いていらっしゃいました。

残念ながら、「未知に対する畏れ」
を知らない傲慢な科学教信者たちが増えてきた、と。

統計の意味と限界に無自覚な議論や、
再現性や二重盲検法に対する盲信が多く見受けられます。
しかし、仕方がないところもあるのでしょう。
歴史は常にそういうものですから・・・


京都大学医学部名誉教授の
一色信彦先生がおっしゃった素晴らしい言葉が
本当に身にしみます。

ベーチェチョルさんの、
現代医学の知識からはありえない、
奇跡的な歌声を耳にした時の言葉です。

「Incredible! Incredible ! 
本当に信じられません。

科学の最前線にいるということは、
科学では分からないことが、どれだけ巨大なのか、
毎日思い知らされることです。

科学はとうてい芸術に追いつきません。
せめて科学は芸術の邪魔をしないようにしなければなりません」

本物の科学者の、何と謙虚で素敵な言葉・・・


つづく

2010年08月05日

朝日新聞、読売新聞の報道について (1)

日本ホメオパシー振興会のページ、
またハーネマンアカデミーのページで、
最近の新聞報道についての見解を
掲載する、という旨を掲載しました。

先日のVK2問題のみであれば、
先日掲載した見解で一応足りている、
と考えますが、
その後ホメオパシーそのものの是非、
という問題に広がっていますので、
一回限りの見解だけではなく、
連続して書く必要があると思います。

振興会としての見解を、
近日中に掲載する予定ですが、
この問題は複雑な問題を孕んでおりますので、
詳しくは、私の個人ブログで
じっくりと書いていきたいと思います。


****************************

2010年7月9日の読売新聞のスクープに始まった、
ホメオパシーに関する報道は、
次第に勢いを増そうとしています。

その後の報道も合わせますと、
「日本ホメオパシー医学協会という名称のホメオパシー団体」
に所属する助産師が、
新生児にヴィタミンK2シロップを投与せずに、
「ホメオパシーレメディーVKなるもの」
を投与した結果死亡した、ということであります。


この件について、
当振興会ではすぐに見解を発表いたしました。

http://nihon-homeopathy.net/semi-info/comment_2010_07_09.htm


その後7月31日に、
朝日新聞と読売新聞が続報を掲載し、
日本を代表するクオリティーペイパーを舞台に、
ホメオパシーに関するさまざまな報道がなされるに至りました。

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=28674
http://www.asahi.com/health/feature/homeopathy.html
http://www.asahi.com/national/update/0804/TKY201008040482.html

そして、朝日新聞のブログの
「アスパラ」にも記者自身の個人的感慨が掲載されました。
私自身も、その通信欄に投稿し、
このHP上で議論を深めていくという書簡を送りました。

https://aspara.asahi.com/blog/kochiraapital/entry/kNKQFuNbTK
https://aspara.asahi.com/blog/kochiraapital/entry/glgeK5yOwd


以下が、その書簡の内容です。

*****************************

初めまして。
日本ホメオパシー振興会の代表をしております
永松昌泰と申します。

この場は、
「責任と良識のある匿名」の場と思っておりますが、
私の場合にはホメオパシーに直接携わる者として、
長野剛様と同様に実名であるべきと考え、
実名にて失礼致します。


先日の長野剛様の記事を
たいへん興味深く拝見致しました。

科学や哲学の目的は、
あらゆる先入観、偏見、勝手な結論を排し、
本当の姿、真実の姿に近づいていくことです。

当振興会は、
今回のヴィタミンK2に関する訴訟に留まらず、
「ホメオパシーの真偽をめぐる議論」について
真正面から参画し、
医療、科学など、
あらゆる面から徹底的に考え抜いて、
「真相」に迫っていく所存です。

長野剛様は、良識的な方であると感じましたし、
記事には議論すべき論点が
概ね含まれているように思いますので、
長野剛様の記事をもとにして
HP上にて議論を尽くしていきたいと考えておりますので、
よろしくお願いします

******************************


夏、いよいよ暑いですが、
これから、この問題について、
じっくり書くつもりですので、
よろしくお願いします。


つづく

2010年08月06日

朝日新聞、読売新聞の報道について (2)

さて、今回の事件は、
ホメオパシーそのものの問題だと
考えている人が多いようですが、
まったくそうではありません。

問題は、大きく二つに分かれます。

1.該当の助産師が所属する「日本ホメオパシー医学協会」特有の問題。
  そこでは本当にホメオパシーを行っているのか?という問題です。

2.ホメオパシーの科学的根拠、科学的証明に関する問題。


今回の事件は、
実際にはホメオパシーそのものによって起こったのではなく、
1の問題によって起きたことですが、
それに伴って、2の問題もクローズアップされています。
しかし、さまざまな記事や議論を拝見すると、
1と2の問題とが混同されているため、
論点がずれた議論になりがちです。
この2つはまったく次元の異なる問題です。

今回このブログでは、
2の問題について
じっくりと書いていきたいのですが、
1と2が混同されがちなので、
まずは1と2の「腑分け作業」が必要です。
その腑分け作業に、
数回かかると思います。

そして、その後に
2の論点、
科学性の問題に、
じっくりと入っていきたいと
思います。


1の論点は、そもそもホメオパシーとは何か、
そして、その団体で行っているのは、
本当にホメオパシーなのか、という問題です。

ホメオパシーは、
その方の症状の全体像に対して
1種類のレメディーを処方します。
すなわち個々の症状をバラバラに見るのではなく、
あらゆる症状を一元的に包括する
1つのレメディーを見つけて処方します。
そのために、全感覚を研ぎ澄まし、
話をよく聞き、
それを総合的に分析し、
熟慮の結果、レメディーを決定する。
それがホメオパシーであり、他にホメオパシーはありません。

しかし、この「本来のホメオパシー」は、
真の科学であり芸術であるので、
高度な修練を必要とします。

それを知らないで飛び込んだ方たちや、
そういう修練に興味がない人たちは、
もっともらしい理由をつけて、
安易な方法に走ることになります。
そして「ホメオパシーレメディーを使うけれども、
本来のホメオパシーではない別の療法」
が広まり、
安易な処方や、危険なセルフケアが
蔓延することになってしまったのです。
(詳細はいずれまた書きます)

「本来のホメオパシー」を行う人は、
それと混同されることを非常に嫌がり、
「本来のホメオパシー」のことを、
「クラシカルホメオパシー」と呼んでいます。

私自身はその名称を使うことを余り好みませんが、
一般的にはそのように呼称されています。

本来のホメオパシーとは何か、について、
クラシカルホメオパシーの
代表的な認定機関である
アメリカのCHC
(Council for Homeopathic Certification) は、
明確に規定しています。

CHCの分厚い冊子には詳しく載っていますが、
ネット上でもコンパクトな形で同じ事を紹介しています。

http://www.homeopathicdirectory.com/index.php?option=com_content&view=article&id=69&Itemid=110

次のうち1つでもあてはまらなかったら、
ホメオパシーレメディーを使っているとしても、
それはホメオパシーではありません。

ⅰ.同種の法則に基づくこと。
  つまり、クライアントが示す症状の全体像と
  レメディーの症状の全体像をマッチさせること

ⅱ.1人の症状の全体像は1つであるので、
  それら全体を一元的に包括する1つのレメディーを処方する。

ⅲ.レメディーの選択はケース分析によって行われる。
  ホメオパシーの基本に基づかない形で行われる
  キネシオロジー、Oリング、ダウジング、キルリアン写真、
  またVoll、Interro、Quantum Xeroid
  などの「波動測定器」などで選ばれるのではない。

ⅳ.一度に処方されるレメディーは一種類。
  レメディーはコンビネーションで処方されるものではない。

ⅴ.健康を回復していくために必要最小限のレメディー量が処方される。

これらは、
本来のホメオパシーをやっている者からすれば、
言う必要もないくらい、
当たり前のことです。

要は、これらのうち一つでも欠けるならば、
ホメオパシーレメディーを使っていても、
ホメオパシーとは言えないということです。

野球のボールを使ってサッカーをしたら
それはサッカーでもなく、
野球でもない、
別物である、
というのと同じです。

今まで「ホメオパシーレメディーを使うけれど、
本来のホメオパシーではない別の療法」
をホメオパシーと思いこんでいた方は、
非常に多いのではないか、
と思います。


さて、次回は、
1の問題の中で、
非常に深刻かつ複雑な問題について
書きたいと思います。

現代医学に対する安易な否定による
医療ネグレクトの問題です。

その中には、
今回のVK2の問題、
予防接種の問題も含まれます。

ただし、VK2の問題と
予防接種の問題とは、
まったく異なる問題です。

VK2は、栄養素なので、
VK2シロップは「栄養補給」ですが、
予防接種は、「栄養補給」ではもちろんありません。

有名な「前橋レポート」もあるように、
(前橋レポートの全文はこちらからダウンロードできます)
http://www.kangaeroo.net/D-maebashi.html

予防接種は医師の間でも
賛否両論ある難しい問題ですので、
この2つを決して一緒にしてはなりません。

また、「好転反応」、「症状は有難い」
という言葉の誤用、乱用、
これも深刻です。

そこについても
詳しく書く予定です。


つづく

2010年08月07日

雑感 マジョリティー、マイノリティー (3)

日本ホメオパシー振興会の公式見解をお待ちの方々。
もう少しだけお待ちください。

しかし!
「ホメオパシーと科学性」というテーマで、さる7月19日、
大阪で、琉球大学准教授松本(大瀧)丈二先生とのセミナーを
行いました。

その対談部分をウェブで公開しておりますので、
ぜひご覧ください。
振興会メインページにあります。

本当の科学とは何か、
二重盲検法、統計学の本質、意味、限界についての
本質的な議論がされていますので、
どうぞご覧ください。

********************************

先日、久しぶりにアイザック・ニュートンの「プリンキピア」を読みました・・・
といっても、今回は以前に読んだ英訳の本編ではなく、
「プリンキピアを読む」和田純夫著(講談社ブルーバックス)
という解説書です。

普段、解説書の類はほとんど読まないのですが、
これは素晴らしい本でした。

まさに、

「本書は、科学史上最も有名な本のひとつでありながら、
内容はそのままの形ではほとんど知られていないプリンキピアを、
可能な限り誰にでも分かる形で紹介するために書いた。
プリンキピアを読みながら私が感じた驚愕と感激を
読者の皆さんに伝えることが目的である」

と書かれてあるそのままの素晴らしい名著でした。
和田さんの「驚愕と感激」が、
ダイレクトに伝わってきました。

「驚愕と感激」
何と素敵な言葉でしょうか?
一色信彦先生の言葉と同じ、
科学の純粋な喜び、
子供のような純粋な喜びが、
躍動しています。
あーーーいつまでも浸っていたい・・・


ニュートンは、アルキメデス、ガウスと共に、
三大数学者として有名ですが、
とりわけ
「プリンキピア」は非常に有名な本です。

科学の始まり、と言って過言ではない、
記念碑的な本ですが、
著者が書いているように、
実は昔から読破した人が少ないことでも有名な本です。
余りにも難解で、読めないのです。


私はもちろん読むつもりもありませんでした。
しかし、湯川秀樹先生の「物理学講義」その他に触発され、
アメリカ留学中に一念発起して読んでみました。
しかし・・・素晴らしい「睡眠導入剤」に終わりました・・・

記憶は定かではありませんが、
湯川先生は、
このようなことをおっしゃっていたように、思います

「我々が習った古典力学の基本法則は、
もちろんニュートンの「プリンキピア」から来ているが、
実際に「プリンキピア」を読んでみると、
我々が習った内容とは、
大きく異なっている。

現代の「ニュートン力学」は、
非常に整理整頓したもので、すっきりとはしているが、
「こく」はない。
しかし、プリンキピアには
思いもよらない種々雑多なものが含まれている。

開拓者は、未知の領域に初めて入っていくので、
後で整理した後の人は、
もはや考えもしないような
あらゆる可能性、
「隠れた前提」を想定し、
考えてはつぶし、考えてはつぶし
という気の遠くなる作業をしている。

その中には、もはや意味を持たない内容もあるが、
我々が考えもしていない可能性や、
想像もできないような多岐にわたる繋がり、広がりがあり、
非常に深く豊かな内容がある。
もしかすると、数百年の眠りの後で、
今になってようやくその意味が理解されて、
あらためて再発見されるような、
極めてオリジナルな内容が含まれていることに
心底驚いた」

というような内容であったと記憶しています。


そのことを、またあらためて思い出しました。

ニュートンは、非常に孤独な人で、
自分の研究を公にすることを、
非常に嫌いました。
その理由は、ニュートンの研究を理解できるような人は、
当時もほとんどいなくて(フックくらいでした)、
理解できない人からの、
意味のない論争に巻き込まれることを
嫌っていたからだと言われています。
まさに「マイノリティー」です。

同じことは、やはり三大数学者の一人、
ガウスも同じです。
彼も、ほとんど何も公開しませんでした。

アルキメデスについては分かりませんが、
彼は「無理数」(irrational number)
の存在には気づいていたものの、
彼の「数秘教」を根底から揺るがすものとして、
絶対秘密にしていた、と言われています。


つづく

2010年08月08日

朝日新聞、読売新聞の報道について (3)

公式見解の準備も整ってきたようです。

予告した、「医療ネグレクト」の文章を書きかけていますが、
それを完成させる前に、今日は新聞社の取材について、
少し書きたいと思います。


さる7月9日の読売新聞のスクープを受けて、
日本ホメオパシー振興会は、
すぐに見解を発表しました。

http://nihon-homeopathy.net/semi-info/comment_2010_07_09.htm

見解を発表してすぐに、
読売新聞の科学部の片山圭子記者の取材申し込みがあり、
私と天井周講師、原田和道講師が
3時間近くにわたって取材を受けました。


取材の主旨として、
今回のVK2の事件についての当振興会の見解、
ホメオパシーの科学性、
ホメオパシーと現代医療との関係性、
安全性の高いホメオパシーセルフケアの仕方、
などについて意見を聞きたい、
ということでした。


片山圭子記者は、今思い返しても、
なかなか優れた記者でした。
最初は型どおりの表面的な質問があり、、
固定観念に囚われているのかな、という印象があったのですが、
説明を何度か繰り返すうち、
次第に私どもの話をそのまま理解されるようになりました。
「賛同」しているかどうかは別として・・・

そこには、
まず相手を理解する、という
当たり前ではありますが、
きちんとした姿勢がありました。

お話をするうちに、
次第に私たちも「乗って」きました。

科学部の方だけに、
従来の「狭義の科学的手法」からものごとを見る、
という習慣が身についていますが、
片山記者が優秀なのは、
そこだけにしがみつかず、
広く柔軟に考えてみる、
というジャーナリストの基本的姿勢が
非常に感じられたことです。

ホメオパシーに反対、または賛成の記事を書いてやろう、
という狭い視点ではなく、
もっと広くものごとを見てみよう、
本当に医療はどうあれば良いのか、
という柔軟性があったのです。

これは、当たり前のようですが、
実際にはなかなか得がたい資質です。

ですので、自然に
ホメオパシーや科学についての、
かなり突っ込んだ話になりました。
お話しするのが、次第に楽しくなりました。

天井講師は医師、原田講師は薬剤師でありますが、
彼らも熱心に、なぜホメオパシーを始めたのか、
ということを皮切りに、
説得力のある、素晴らしい話をしてくれました。


ただ、結果として読売新聞の記事は、
紙面の都合もあり、
ホメオパシーの是非にはほとんど踏み込まず、
インタビューの記事も掲載されず、
医療従事者たる助産師の
モラルに触れただけの記事に留まりました。

その後片山記者に尋ねますと、
実は私共とのインタビューの内容を
かなりのスペースを割いて原稿にしていただいたようですが、
私がVK2のことについて話したことが、
なんと「世間一般の常識と一致するので、載せる必要がない!」
という理由で、削られたそうです・・・嗚呼

よく言われるように、
非常識に思えるような話でないと、
載せる意味がない、ということですね。
「犬が人を噛んでも記事にはならないが、
人が犬を噛むと記事になる」
という言葉は聞かれたことがあると思います。

もっとも、それは批判対象が
非常識なことを言った場合に、
「待ってました!」とばかり、
そこだけ誇張して記事にする、
ということであり、
それと対照させたい「まともな側」の言った
「無難でまとも」な内容は、
出来るだけ、より正当に聞こえるように化粧して載せる」
ということでもありましょう。


それはともかく、読売新聞の続報では、
今回のホメオパシー自体の是非について
踏み込むまでの記事にはならなかったので、
その時の多くの話は、
記事としては、
流れてしまいました。

それでも、
片山記者とはお話できて
本当に良かった、と思います。
結論はともかくとして、
まずは理解しようとする正しい態度がありました。
それは、とても気持ちの良いことでありましたし、
きっと日本や世界をより良い方向に導く
大きな原動力となってゆくのだと
確信しています。


つづく

2010年08月09日

朝日新聞、読売新聞の報道について (4)

そうするうちに、
7月末日に読売新聞だけではなく、
朝日新聞に大きく出ました。

・・・正直なところ、かなり驚きました。
記事の内容と、報道の姿勢についてです。

ホメオパシーそのものについて、
また、日本のホメオパシー事情について、
どこまで勉強されて書かれていらっしゃるのだろう?
こんなに「大胆な」記事を書かれていらっしゃるけれど・・・

その後、朝日新聞のブログに続報が出ている、
という話を聞き、実名で投稿しました。

その後何度か「本人確認」の電話連絡などがあった後、
長野剛記者から電話がありました。

ようやくお電話があった、ということで、
大いに期待したことは言うまでもありません。

・・・その時の電話による「取材」の内容は・・・
今日のところは書かずにおきます・・・

ただ、ホメオパシー全般について、
これだけ「大胆で批判的なこと」を書いていらっしゃるからには、
公正さを期すために、
ちゃんと直接取材されたらいかがでしょうか?
また狭いところのみコメントを求められるのではなく、
ホメオパシー全般についての意見を
聞こうとされるべきではないでしょうか?
たとえば、科学的証明について、
つっこんだ取材をされてはいかがでしょうか?
一応、私、専門家なんですが・・・
まあ、でもお忙しいでしょうから、
これからのブログを読まれてからでも良いです。

閑話休題

これから、じっくりと
根本的なことから書いていきますが、
これからの経緯をじっくりと見ながら、
そして、日本の未来、科学の未来、
医療の未来を見据えて
書き進めていきたいと思います。

また、コメントについてですが、
元来、対話がもっとも好きなので、
いただいたコメントには逐次お答えしたいのですが、
今回のような内容の場合、
コメントに対するお答えには、
非常に時間を要しますし、
極めて短いお答えしかできませんので、
誤解も生じますし、
残念ながら、事実既に生じています。
真意を理解されないまま、
さっそく朝日のブログなどに、引用されているようです。

ですので、中途半端なお返事は意味がありませんし、
いただいたコメントの内容は、
ブログの中でじっくりと書いていこうと
思っていることばかりです。

また、ちょうど今は、
一年で最も多忙な時期の一つにさしかかってしまいまして、
限られた時間はできるだけ
ブログを書くことに集中したいと思いますので、
申しわけありませんが、
ごくごく簡単なお答えが可能な内容以外、
しばらくの間、コメントには
お答えできないと思います。

ただし、いただいたコメントは、
掲載させていただきます。


先週は、世界的ホメオパス、
David Mundy先生の3日間のセミナーがあり、
1週間の滞在期間中、てんてこ舞いでした。
そして、引き続いて、
明日から、若手の世界No.1とも言われる
Dinesh Chauhan先生が10日間滞在されて、
6日間連続の集中セミナーがあります。

毎日暑いですが、
集中力を切らさずに、連日のセミナーと、
ブログの更新を頑張っていきたいと思います。
よろしくお願いします。

皆さんも、ご自愛ください。


つづく

2010年08月10日

朝日新聞、読売新聞の報道について (5)

今朝の朝日新聞による新たな記事、
驚きました。

まさか!?
こんなに重大な爆弾的な記事を、
事実関係、因果関係・・・
どこまで確かめたんだろう?

"Can it be true ?"
「そんなこと本当? ありえないでしょう?」

朝日新聞には、次のような
「朝日新聞記者行動基準」があるそうです。

http://www.asahi.com/shimbun/kisha.html

もしかして、一連の記事や記者の言動は、
もしかして・・・違反していませんか?
もしや「勇み足」では・・・?
とだけ、今は申し上げます。

ともあれ、振興会として、新たな見解を出していく予定です。


立花隆さんが、、
このようなことを書いていたことを思い出します。
あくまで記憶の再構成に過ぎませんが、
大意は合っていると思います。

「よく巷間では、 週刊誌の情報は信頼性が低く、 新聞は非常に信頼性が高いように思われているが、 事実はまったく逆である。

新聞記事の精度は、週刊誌に比べて意外なほど低く、
せいぜい半分あるかないか、と思っている。
週刊誌の記事の方が、遙かに正確なのは、間違いない。

その理由は明白である。
取材に許される時間がまったく違うからである。
週刊誌は、短いものでも数日間かけて取材できるが、
新聞は毎日2回締め切りがあるので、
基本的に数時間から半日、せいぜい1日とかが多い。

だから、私(立花隆)は
新聞記事の「事実報道」を、ほとんど信用していない・・・
少なくとも鵜呑みにはしない。
たとえ「事実」のように報道されていたとしても。

新聞の場合、
許されている時間が非常に限られているので、
ある意味仕方がないが、
しかし、その「誤報」による影響力は、
計り知れないものがある。
しかし、その痛みを感じる記者は・・・
残念ながら少ない・・・

記者も、最初はやむをえない、とはいえ、
「誤報」「ホントは後で訂正が必要な記事の嵐」という現実に
ショックを受けるが(受けない人もいるらしいが・・・)、
次第に狎れてしまい、
ついには無感覚になる。
不本意であっても、
そうしないと、生き残れないからである。

そして、いろいろな部署をまわるうちに、
たとえじっくり書く時間がある部署にいるとしても、
一度染みこんでしまった「誤報狎れ」はなかなか抜けない。

ではその「誤報の山」はどうなるのか?

新聞社は基本的には何もしない。
いちいちそんなことやっていれば、
新聞は成り立たないからである。

抗議しても相手にしないし、
記者も人間であるから、
かえって目の敵にされて、
重箱の目を突ついたような、
どうでも良いようなことを、
針小棒大にして、
報道されてしまうだけである。

ただし例外はある。
相手が広告スポンサーか、
万一裁判で敗訴した場合にのみ、
ほとんど誰も見ない場所に、
申し訳程度の訂正が載るだけにすぎない。

かくして、「誤報の犠牲者」は、ますます増えるばかりである。
残念ながらそれが現実なのだ。」


おそらく、こんなことは日常茶飯事、
「よくあること」なのでしょう・・・


つづく

2010年08月13日

朝日新聞の報道について またこれからのブログについて

この2回ほど、
「兄弟」の会話風に話を進めてみました。

「本来のホメオパシー」というものは、
社会の良識、科学、公序良俗を否定するものではなく、
真の良識、真の科学、真の芸術、真の公序良俗をめざし、
真の調和を実現しようとするものであること、
それを「兄弟」の会話を通じて、
じっくりと話を深めていこうとするものでした。

私の中ではすっかり構想も出来上がっているのですが、
このあたりで、「兄弟対決」ではなく、
スタイルを本来の姿に戻していこうと思います。
なぜならば、HP上にもありますように、
現在このブログは、単なる私のブログというだけではなく、
振興会の「公式見解」の「詳細版」
という役割も負っています。

私個人のブログという位置づけのみでしたら
これはこれで構わないとも思いますが、
「準公式見解」という今の位置づけの中では、
私の中でも少し「違和感」も生じてきていますので、
本来のスタイルに戻したいと思います。

ただ、書き方が変わっても、
基本構想、基本構造は変わりませんので、
少しお時間をいただきながら、
本来の形で書き進めようと思います。

ですので、「兄弟の会話」2話は、
いったん取り下げさせていただき、
本来のスタイルに書き直してから、
再びアップさせていただきたいと思います。

また、今現在の急務として、
本来のホメオパシーとは何か、というコンテンツの充実が、
何よりも優先する、と考えます。

ですので、その作業を最優先に進めながら、
より詳しい解説を進めていきたいと思います。


********************

さて、最近、朝日新聞において、
ホメオパシーによって「医療ネグレクト」が起こっている
と盛んに報じられています。

ホメオパシーで治療すると言い張って、
病院に行くことを拒否して死亡した、という例がある…
それに類する死亡例が複数ある…

「死亡」という、人の感情をかき乱す言葉が多用されていますので、
一見して、衝撃を受けられる方も多いことでしょう。

そして、ホメオパシーに対して、
「反社会的」な印象、「カルト的」な印象を
持たれる方も多くいらっしゃることでしょう。

現在の日本において、一般的に「信頼できる」と信じられている
大手新聞で報じられる内容ですから、
多くの人がそのように感じられるのも、
無理はありません。

しかし、誰かの言ったことを鵜呑みにすることからは、
正しい物事の判断は生まれないでしょう。
もちろんのこと、それは「良識的態度」とは言えません。


そもそもこのブログで、
一連の報道に対する見解を書き始めたとき、
その根底にあったのは、
「(狭義の)ホメオパシーを守りたい」とか、
「日本ホメオパシー振興会という団体を守りたい」
…という思いではありませんでした。
なぜかと言えば、
「ホメオパシーを守る必要はない」からです。

私は、ホメオパシーを始めてから、
「ホメオパシーを守ろう」と思ったことは一度もありません。
なぜならば、「守る必要がない」からです。

2年半前からこのブログの中で再三書いているように、
私にとって唯一大切なことは、
「ものの道理」であり、
どのような時代、どのような場所、どのような状況においても通用する、
「普遍的な真実」です。
私にとって、ホメオパシーが「直接的に」大切なのではなく、
ホメオパシーが、ものの道理にそのまま一致しているからこそ大切なのです。
それ以外にはありません。

ホメオパシーが「ものの道理」に一致しているならば、
どうして守る必要があるでしょうか?

「万有引力の法則を守る」必要があるでしょうか?
どのような容赦ない批判にも全く揺らぐことがない、からこそ、
「ものの道理」なのですから。

本来のホメオパシーは、「ものの道理」にのみ準拠した、
真の科学であり、真の芸術です。
とらわれがなく、完全にオープンなものであり、
閉鎖的な、いわゆる「カルト」とは、対極的なものです。

「人はなぜ病を得るのか?」
「何が真の『健康』なのか?」
「人間とは?」
「宇宙とは?」

・・・そのような、人間が生きていくうえで恐らく誰もが抱くであろう
根本的な問題について、
ホメオパシーには、きっと深いレベルの、本当の答えがある!

真のホメオパシーを知った時の驚愕と感動、
それを、より多くの方にお伝えしたいと思ったのです。


今回、ホメオパシーという言葉が広く知られるきっかけとなった
山口での事件は、本当に痛ましく、起こってはならないことでした。

ホメオパシーが知られるきっかけとなったのが、
本来のホメオパシーの素晴らしい癒しの技(わざ)からではなく、
一見「反社会的」「カルト的」にも見える事件からであったことを、
心から残念に、申し訳なく、極めて遺憾に思っています。


それからもう一つ、匿名の投稿について申し上げたいと思います。

匿名には大きな長所があります。
誰なのかが追求されないので、匿名でこそ本音が言える、
という場合も多々あります。

また同時に匿名には大きな短所もあります。
匿名だけに、面と向かっては絶対に言わないような
面白半分のひどい誹謗中傷も、
平気でできてしまいます。

実は、ある時、私が知っている方が、
ネット上の「荒らし」であることを、
たまたま知ったことがありました。
ネット上では、びっくりするような、
攻撃的で先鋭的な中傷をされるのです。
しかし、普段のその方は、非常に優しく、
とても常識的で、知的な方だったのです。

ネットの中ではひどい言葉でホメオパシーを罵っていらっしゃる方も、
実際にお会いすると、きっと良識的で優しい方なのかな、
と思います。


今回の一連の報道の中で、
あえて朝日新聞のブログの中で、
実名でいくつか投稿いたしました。

それはそれで、意味があったことだと思います。

しかし、そのブログのその後の数々の投稿を見る時、
結論がホメオパシー反対であるとか、賛成であるとか、
そういう結論には関係なく、
やはり匿名の投稿という場は、
良識的な議論を重ねていく場にはなりにくい、
ということを強く感じています。
もちろん良い投稿もありますが・・・・・

ですので、これからは
朝日新聞のブログや、まだ未参加のブログその他に関しても、
閲覧や発言をするのは、基本的には控えたいと思います。

そして、これからは、
振興会のHPの内容と、このブログの場を通じて、
出来るかぎり充実した議論を展開していきたいと思います。
また、お互いに気持ち良くコミュニケーションが取れる場で、
発言していきたいと思います。


さて・・・
これからしばらく、振興会としては夏休みをいただきます・・・
といっても、Dinesh先生のセミナーがありますので、
私は多忙な状態が続きますが・・・・・
(ちょっと余談ですが今回もDinesh先生の講義、本当に素晴らしい!です。)

この間に、本当にこのブログでお伝えしたいことを、
もう一度フレッシュな気持ちになって、
お休み明けに、新たな気持ちで、ブログを再開したいと思います。

・・・といっても、次から次に書くことが溢れてきていますので、
お休み中でも更新することもあるかもしれませんが(笑)・・・


最初に書きましたように、
物語風に書きかけた「兄と弟の対話」も
いったん取り下げさせていただき、
お休み明けに、装い新たに論を展開していきたいと思います。

長いながーいブログになりました。
最後までお読みいただき、有難うございました。


暑い時期ですので、皆様もどうぞご自愛ください。

2010年08月19日

雑感

この数週間、
かなり目の廻る忙しさでした。

まず、David Mundy先生のセミナー、
それから、Dinesh Chauhan 先生の6日間セミナー

これだけで、かなり手一杯の状態でしたが、
これにプラスして、
一連の報道に対しての「公式見解」、
そしてブログの更新もあり、
かなり目が回っていました。

Dinesh先生は、今日お帰りになりますが、
本当に素晴らしい授業を聴かせていただきました。
今回は、「子供のケース」でしたが、
本当に深い深い授業になりました。

そして、最終日は授業後に、
一人一人の感想を述べあいましたが、
誰もが深い感慨をもって、
お話しをいただきました。

・・・感極まった人、
万感の思いで、言葉がでてくるのに5分以上かかった人、
一言一言、言葉を絞り出すように話された人、
みんな去りがたく・・・去りがたく、
そして去っていきました。


私にとっても、本当に素晴らしい時間でした。

子供を診る、というのは、
単に、「対象として」子供を診る
ということだけではありません。

子供の中にある
「本来の姿」を診ていくことです。

・・・そして、それだけに留まりません。

子供を診ることを通じて、
実は我々自分自身の内にある、
「本来の自分」
を観ていくことにつながっていかざるをえません。

子供を観るには、
自分自身が子供になっていなければならない。

つまり、自分自身が「本来の自分」に近づいていかなければ、
決してありのまま観ることはできません。

といっても、これは子供を観る時に限ったことではありません。
本当は、「子供」も「大人」も同じです。
子供のほうが、
「本来の自分」を観るのが、
いくらかやり易いというだけに過ぎません。

「大人」も「子供」ですから。


「インナーチャイルド」という言葉があります。
昔、ある本のタイトルで使われて以来、
よく使われています。

私は、正直なところ、
「インナーチャイルド」という言葉が
余り好きではありません。

それは、おそらく、
この言葉自体が好きではない、というよりも、
この言葉を使う方の
使い方が余り好きではない場合があるのだと思います。

時として、
何か、とっても大切なことを、
とっても安易に扱っているような、
そんな居心地の悪さのようなものを感じる時があるのです。

********************


閑話休題

お盆の最中、
Dinesh先生の授業の中、
実は一泊二日で京都に行ってきました。
ベーチェチョルさんの二人の恩人、
輪嶋東太郎さんと、
一色信彦先生とお会いするためです。

輪嶋さんは、相変わらず素敵な方です。
この日も、「喜びと感動のオーラ」を
惜しみなく振り撒きながら、、
さまざまなお話しをしていただきました。

そして、一色先生・・・
私と輪嶋さんの熱烈な言葉に、
ちょっと困惑気味に(・・・ちょっぴり引き気味に)、
「あなたが言うような、そんな大げさなものでは・・・」
とおっしゃいます。

まるで空を飛ぶ鳥が、
飛ぶという、鳥としては当たり前のことを
いちいち絶賛されて戸惑っている、
そんな感じがいたしました。

「いやー その羽の伸ばし方の絶妙な角度とタイミングがすごい!」
とか、
鳥として当たり前のことを、いちいち感激されてしまい、
「こんな当たり前のことを、
いちいち感嘆されては、かなわんな・・・」
と、とまどっている、
まさに、そんな感じでした。

確かに一色先生がおっしゃっていることの数々は、
ある意味「当たり前」のことばかりではあります。
世の中その「当たり前」のことが、
当たり前にはならないのが、
とても残念なところです。

その「当たり前」のことの数々、
また少しずつ書いていきたいと思います。


さて、そろそろ、
朝日新聞、読売新聞の報道から始まったことについて、
再び本格的に書き始める時も近づきました。

まずは、「本来のホメオパシーとは何か」
ということを、きちんと提示することが、
何より急務です。

そして、その後、
このブログを中心に
詳しく書き進めていきたいと思います。


前回に書きましたように、
構想はできています。
ただ、「大作」です。
優先順位を考えながら、
一つ一つ形にしていきたいと思います。

2010年08月20日

朝日新聞、読売新聞の報道について (6)

現在、報道の焦点は、
ホメオパシーの真偽というよりも、
「医療ネグレクト」の問題に移りつつあるようです。
もちろんこれはホメオパシーの真偽の問題とも
密接に関係してくることではありますが、
こちらの問題に、
より焦点が当たっているように思えます。

その指摘は、ある程度当たっています。
安易なセルフケアや、
安易な教育システムや、
安易な「自然礼拝」や、
さまざまな問題が関係しています。

しかし!
それは決して
簡単な問題ではありません。
「この問題は○○○だ!
と言い切れるような問題ではありません。

「○○○とも言えるが、それだけとも言い切れない、
XXXともいえるが、それだけとも言い切れない・・・」
というような複雑な問題が、
幾重にも幾重にも取り巻いています。


あたかも病院に行かなかったから死亡した、
かのように書かれていますが、
そんな簡単な問題なのでしょうか?

まるで病院に行きさえすれば、
死亡することはなかった、
と言いたいのでしょうか?

朝日新聞の報道の中には、
「ホメオパシー推進団体」会員による死亡例
が複数ある、と書かれています。
(といっても「ホメオパシーレメディーを使うけれども
本来のホメオパシーとは程遠い、極めて特殊な療法」ですが・・・)

まずは、それについて、
慎重な検証をすることが必要です。
科学的な目で検証することが必要です。
実際に起こったことは、
そんな単純な構図だったのか・・・


そして、医療ネグレクトに関する中心的な問題は、
「それでは、病院に行きさえすれば良かったのか?」
という問題です。

病院に行くことが常に正解で、
病院に行きさえすれば、「医療ネグレクト問題」は、一件落着なのか?
という問題です。


そんなことはありません。

病院に行ったばかりに
命を失った例は
新聞やTVでもよく報道されていますが、
実際に起こっている数は
比べものにならないくらい多いでしょう。

明らかな医療ミスのレベルから、
そうとは言い切れない問題まで・・・

また現代医療ではそもそも難しい病気の方々など・・・
いろいろなレベルで、
いろいろなことが起こっています。


実は・・・
私には痛切な思い出がいくつもあります。
余り書きたくないことなのです・・・
あまりにも生々しく、
あまりにも心が痛くて・・・


でも、心して、
その一つを書きます。


末期の肺がんの方で、
余命1~2ヶ月と言われた方が、
ホメオパシーレメディーを摂られてからは、
すっかり経過が良く、
動脈血酸素量は低いものの、
酸素ボンベは必要とせず、
4年余り調子が良かったのですが、
朝早く少し息苦しく、
ちょっと検査もしたいのと、
家族が病院に行くことを強く勧めるので、
病院に行っても良いか、
という電話がありました。

「苦しいですか?」
と聞くと、
元気な声で、
「そうでもないけど、
しばらく病院には行っていないし、
ご存じの通り、私も家族も心配性なので・・・」
ということでした。

都内にある、
比較的新しい国立病院でした。

私は、「どうぞ行ってらっしゃい!」、と答えました。
特に不安は感じていませんでした。
ただちょっと検査をするだけなのですから・・・

・・・半日後、私は大きな後悔に苛まれました。
なぜ止めなかったのだろう・・・と・・・
今でも悔やみきれません・・・


検査をしたところ、
動脈血酸素量が足りない、ということで、
緊急入院の措置が取られ、
すぐに高濃度酸素吸入が始まりました。
それまで元気で家族と話していた患者さんは、
吸入後、急に意識が無くなりました。

酸素吸入を始めた直後に意識不明になったので、
家族は、これはおかしい!と思い、
すぐに中止して欲しいと医師に申し入れました。
すると医師は不機嫌そうに、
「私は専門家です。あなた方は素人なんだから、黙っていてください、」
と一喝しました。

その医師は、なぜ意識不明になったのか、
何も説明せず、
「酸素が足らないのだから、
高濃度で酸素を入れるしかない、当たり前でしょう!」
の一言だけで、
怒って部屋を出て行ってしまいました。

家族は納得できず、すぐに私に電話しました。
私は話を聞いて、すぐに駆けつけました。
さきほどまで元気に話していた方が、
酸素吸入を始めたとたんに意識が無くなる・・・
もちろん異常事態、緊急事態です。

私はすぐに生徒の医師何人かに電話しました。
しかし、あいにくお昼前で、
最も忙しい時間でした。
また一人は手術中でした。

その間も、刻一刻と時間が過ぎていきます。
私はその日は授業があったので、
緊急時には連絡するように言って、
やむを得ず学校に戻りました。

その後、家族は独断で、家族の意志として、
酸素を無断で止めました。
するとしばらくして、次第に意識が戻り始めました。
少しだけですが、何とか会話ができるところまで回復しました。

そこに医師が突然入ってきて、
酸素が止められているのを見て、
激怒しました。
そして、再び酸素吸入を開始しました。
「酸素吸入によって意識不明になり、
酸素を止めると意識が戻ったので、酸素を止めてください!」、
と家族が抗議すると、
更に激昂し、
「酸素吸入をしたおかげだ。
その効果が遅く現れただけだ!
自分の処置に間違いはない!」
と言い放ち、病室を出て行きました。

・・・結論だけ言うと、
それから間もなく、再び意識不明になり、
数時間後、亡くなりました。


医師が、無表情で死亡を告げた後、
その医師はすぐに退出し、二度と戻ってきませんでした。
家族が医師に詳しい説明を求めると、
医師は急用があって、既に病院を去った、ということでした。

それから毎日のように病院を訪ねたり、
電話しましたが、
その医師は一切出てこなくなりました。
そのうちに、個人的事情によって辞職した、
ということで、
代わりに他の医師が出てきて、
医療的に問題はなかった、の一点張りでした。

・・・医療的に問題はなかった???
もちろんそんなはずはありません。


今まで普通に話していた人が、
吸入し始めると急に意識がなくなる、
これが問題ない、ということがありえるでしょうか?

後日、生徒の医師に聞くと、
「実際には診ていないので確かなことはわからないが、
話を聞く限り、CO2ナルコーシスの可能性は非常に高いと思う」
ということでした。

おそらくその医師も、病院側も、
まずいな! と思ったに違いありません。
だからこそ、担当医師は出てこなくなったのでしょう。

何としても説明を受けたい!
とご遺族が少し強い調子で受付で話すと、
一度はまるで厄介な不審者でも来たかのように、
警備員が来て、もみ合いになりました。


・・・その後のことは
もうおいておきましょう。
結局一度も納得できる説明もないままです。

病院は訴訟になると面倒だと思ったのか、
ミスは無かったの一点張りで、
それ以上の説明をすることはしないまま、
高額の示談金を用意してきました。

ご遺族はもちろん断りました。
何度も来ましたが、一番肝心の説明をどうしてもしないので、
ご遺族は追い返しました。

その後、結局、争っても亡くなった方は二度と帰ってこない、
というご遺族のお気持ちで、
そのままになっています。


この事件は、その後の私にとって、
非常に大きなインパクトを与えた事件でした。

私は、病院をそれなりには信頼していたからです。

もちろん今でも多くの医師を信頼しています。
しかし、そうではない医師も少なからずいらっしゃる、
ということが、残念ながら分かりました。
それは仕方がないことなのでしょう。
そして、この種の事件は、
私が直接見聞しただけでも、10件は下りません。


ただ、これは、「現代医学の問題」ではありません。
この処置は、現代医学では、やってはならない禁忌なのですから。

ちょうど、報道されたヴィタミンK2の問題が、
ホメオパシーによって起こったのではなく、
「間違ったホメオパシーレメディーの使い方」
から起こったのと同じです。


つづく

2010年08月24日

朝日新聞 長野剛さんの電話取材

今日の午後、
朝日新聞の長野剛記者から、
再び電話取材がありました。

今日、明日で、再びホメオパシーの記事を書く予定があるそうで、
その中で、先日の「取材」の内容を使いたいとのこと。
具体的には、「ホメオパシー医学協会」に対する私のコメントを使いたい、
ということでした。

既に「取材済み」なので、一応まとめてある、ということで、
読み上げられました。

何度か、修正をしていただきました。


コメントの内容は、医療ネグレクトに関することです。

前回書いたように、
医療ネグレクトの要因は簡単ではありません。

確かに私の方にも、「あちらの」治療を受けて、
その後、何かおかしい、ということで
こちらに来られる方が多くいらっしゃいます。

正直なところ、「医学協会」では、
びっくりするようなことを多くしていらっしゃっていて、
「とうていホメオパシーとは呼べないなー」、
「これをホメオパシーと思われたのでは、たまったものではないなー」、
と思うことしきりで、
医療ネグレクトに関しても、
さまざまな深刻な問題があることは確かなのですが、
必ずしも事実ではないこと、
一方的に悪者にされ過ぎているところも
あるかもしれません。

私が直接知っている中に、こういうケースがありました。
もう8年前のことです。

Ⅰ型糖尿病の方が、
「医学協会」の中心的人物のセッションを受けて、
「すぐにインスリンを止めなさい」
と言われて止めたら、
血糖値がどんどん上がって300くらいになったので、
聞いたら、
「好転反応だ」と言われた。
そのうち、道を歩いているうちに、
ぶっ倒れて救急車に運ばれた。
血糖値は500にも達していて、
生死の境をしばらく彷徨った、
とおっしゃる方がいらっしゃいました。

しかし、ちょっと疑問な点がありました。
私がずっと昔、共にやっていたときは、
新薬を止めることに関して、
彼女はそれなりに慎重だったからです。
(今はわかりませんが・・・)

そう思って、ご本人に何度もよく聞いてみると、
実際にはその療法家はそんなことを言ってはおらず、
その療法家の「著書」を読んだご本人が、
止めなくてはいけないのだろう、と一人合点して、
勝手にインスリンを止めていて、
その療法家は、
ご本人がインスリンを止めたことを知らなかったことが判明。

また療法家から「好転反応だ」とは言われておらず、
ご本人が勝手に誤解して、そう解釈していた、
ということも判明しました。

こういうケースもきっとあるのだとは思います。


ただ、問題は、ホメオパスが直接言った、言わなかった、
ということではなく、
ホメオパスが直接言おうが、
本人が勝手にやったことであろうが、
「医学協会」が全体として強烈に発している
「メッセージ」「雰囲気」は、
「安易な医療ネグレクト」の方向に非常に導きやすい、
ということだと、改めて思います。

やはり、「医学協会」で行われているものは、
本物の、「本来のホメオパシー」ではないので、
そういうことが生じてしまうのでしょう。


ホメオパシーは、
人生における心身のあらゆる状態にも対応しえるものではありますが、
それは訓練をした、能力のあるホメオパスによってのみ可能であって、
セルフケアのレベルや、
「本来のホメオパシー」の教育は受けていない方が、
生半可な知識でできるものではありません。

ホメオパシーには、
本来、セルフケアというものは存在しません。
ホメオパシーは、
長年の修練を積んだ人にのみ、
その十全の力を授けるものであって、
セルフケアは、本来は存在しないのです。


ですから、今まで私たちは、
安易なセルフケアを戒め、
本来は不可能であることを説明し、
その上で範囲を限定して行うことを、
強く勧奨してきました。

堅すぎる!、とか、気軽にハウツーを習いにきたのに!
と言われながらも、
安易なセルフケアや、安易な症状別処方などは、
決して教えず、
セルフケアといえども、
必ず基本をきちんと理解し、全体を観て処方することを、
強く呼びかけてきました。

この一連の報道が始まった今、
あらためて、その大切さを、強く訴えたいと思います。


さて、コメントというのは、
どのような文脈の中で使われるかによって、
印象が大きく変わります。

今日、最終的に私のコメントとしてOKを出したコメントは、
言葉自体は、私の話したことを、
そのまま伝えるものだと思いますが、
しかるべき場所、文脈の中で使われることを、
切に願います。

長野さん よろしくお願いします。(拝)


つづく

2010年08月25日

日本学術会議の会長の談話

突然、降って湧いたように、
日本学術会議の会長の談話が発表されました。

http://www.asahi.com/national/update/0824/TKY201008240373.html

「ホメオパシーは『荒唐無稽』 学術会議が全面否定談話」
談話内容にも、また、その異様に強い調子も、驚きでした。

記事にもあるように、
「日本学術会議が特定の療法を否定するのは極めて異例」です。
(実際には会長談話ですが)


日本学術会議会長といえば、
敬愛する朝永振一郎先生、伏見康治先生、
また、直接お会いしたことはありませんが、
近藤次郎先生、吉川弘之先生、と
錚々たる素晴らしい科学者が、
歴代の会長を務めてこられました。

きっと金澤会長も、素晴らしい科学者なのだと思います。
未知に対する畏敬の念を常に忘れない方なのだと思います。

科学は、「未知」を一つ一つ「既知」に変えていく、粘り強い試みですから。
科学は、「系の限定」から始まるのですから。
科学は、「測定可能」なものしか対象にできないのですから。
科学は、もともと広大無辺な森羅万象の、
ごく一部だけを相手にしたものに過ぎないのですから。

今のところ、会長は、
ホメオパシーを単なる前近代的な遺物としてとらえ、
「科学の無視」「荒唐無稽」という
極めて強い調子で、ホメオパシーを全否定なさっています。

それは、ある意味やむをえないことなのだと思います。
ホメオパシーをご存知ないのですから。
またホメオパシーを知る必要性も感じていらっしゃらないでしょうから。


ただ、本来のホメオパシーは、
普遍的な「ものの道理」のみに立脚するものです。
金澤会長がイメージされていらっしゃるものと、
実際のホメオパシーとは、大きな距離があると思います。


最初の見解にありますように、
今回の痛ましい事件には、
本当に深い哀悼の意を捧げます・・・・・
http://nihon-homeopathy.net/semi-info/comment_2010_07_09.htm


当振興会では、
「本来のホメオパシーとは何か」
という根本的問題をまず明らかにすることを急務と考えています。

そして、ホメオパシーの科学とはどのようなものか、
ゆっくりと書いていきたいと思います。

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