森有正がパリから発した最初の書、
「バビロンの流れのほとりにて」の冒頭にこうあります。
「一つの生涯というものは、
その過程を営む、
生命の稚い日に、
すでに、
その本質において、
残ることなく、
露われているのではないだろうか。
僕は現在を反省し、
また幼年時代を回顧するとき、
そう信ぜざるをえない。
この確からしい事柄は、
悲痛であると同時に、
限りなく慰めに充ちている。
ヨーロッパの精神が、
その行き尽くしたはてに、
いつもそこに立ちかえる。
ギリシアの神話や旧約聖書の中では、
神殿の巫女たちや予言者たちが、
将来栄光をうけたり、
悲劇的な運命を辿ったりする人々について、
予言をしていることを君も知っていることと思う。
稚い生命の中に、
ある本質的な意味で、
既にその人の生涯全部が含まれ、
さらに顕れてさえいるのでないとしたら、
どうしてこういうことが可能だったのだろうか。」
この冒頭の文章は、
長い間、ずっと気になっていました。
どうしてそんなに気になるんだろう。
文章の意味そのものは、
一応了解できるのに、
何がそんなに気になるんだろう・・・
その理由が分かったのは、
ホメオパシーを始めてからでした。
続く