私の人生の中で、最も影響を受けた本の一つが
量子力学の建設者の一人、ハイゼンベルグの
自伝的な本、「部分と全体」(みすず書房)です。
この本を初めて読んだのが、20歳の頃だったと思います。
それ以来、座右の銘のように、
繰り返し繰り返し、おそらく数百回は通読したと思います。
この本で、衝撃を受けたところはいくつもありますが、
その一つは、
「目的は手段を決して正当化しない」
ということです。
それまで私はこのように考えていたと思います。
世の中には素晴らしい目的を持ちながらも、
さまざまな事情で、
その実現はなかなか困難な場合がある。
しかし、その目的とするところは、
本当に素晴らしい、真っ当で正当なものであり、
ぜひとも実現しなければならない。
そういう場合には、どうしてもやむを得ず、
必ずしも良いとはいえない方法を、
一時的にはとらざるを得ない場合があるのではないか、
もちろん、理想としては、
目的も手段もどちらも素晴らしいものでありたいけれども、
しかし、現実には難しい場合もあるので、
どうしてもやむを得ない場合もあるのではないか・・・
私はどこかしら、
このように思っていたのではないかと思います。
しかし、その考えは、この本によって
粉々に粉砕されたのでした。
少し長いのですが、引用したいと思います。
(版権を侵害しない程度であれば良いのですが・・・)

Ⅳ 政治と歴史についての教訓――1922-1924年
一九二二年の夏は、
私にとってはなはだ失望的な一つの経験で終った。
私の師、ゾンマーフェルトは、
ライプチッヒで行なわれる
ドイツ自然科学者および医学者の大会に
出席することを私にすすめた。
その大会では、主な講演の一つとして、
アインシュタインが
一般相対性理論についての報告をすることになっていた。
父がミュンヘンとライプチッヒ間の往復切符を買ってくれたし、
今度は相対性理論の発見者が
自身で語るのを聞けることが嬉しかった。
ライプチッヒにつくと、
もう少しましな所へ泊るだけの経済的な余裕がなかったので、
市中の一番貧しい地域の、一番安いホステルに宿をとった。
会場で私は、ゲッチンゲンの“ボーア祭り”の間に知り合った
二、三の若い物理学者たちと出会った。
アインシュタインの講演について彼らに尋ねたところ、
今から数時間後、
その日の夕方に行なわれる予定であることを知らされた。
そのさい、ある緊張した雰囲気に気がついたが、
それが何によるのか、その場ではわからなかった。
私は、ここではすべてがゲッチンゲン当時のそれとは
全くちがっているのを感じとっていた。
中略

アインシュタインの講演は大きなホールで行なわれた。
そのホールは劇場と同じように、
多くの小さなドアによってどこからでも入ることができた。
そうしたドアの一ヵ所から私が入ろうとしたとき、
一人の若い男が私を押しつけた。
後で聞いたところによると、
その男は南独の大学都市の
ある有名な物理学の教授の助手か学生であったそうだが、
アインシュタインおよび彼の相対性理論に対する
警告が書いてある赤い紙切れのような印刷物を手にしていた。
ビラにはおよそ次のようなことが書かれていた。
この相対性理論というのは、
ドイツの人間には無縁なユダヤ新聞の誇大宣伝によって
厚顔にも過大評価された
全然不確かなスペキュレーションを取り扱っているだけだと。
最初の瞬間、
私はそのビラはこのような学会によく現われる
気狂いの仕わざにちがいないと思った。
しかしそのビラの発行者が、
実験上の重要な研究業績によって高く評価されている人物であり、
ゾンマーフェルトが彼の講義でも
しばしば名をあげたことのある
物理学者であることを知らされたときに、
私の最大の願望は粉砕されてしまった。
なぜなら私は少くとも学問というものは、
ミュンヘンの内乱でいやになるほど知らされた
政治上の意見の争いからは
完全に遠ざかっていられると確信していたからであった。
ところがここで私は、
性格が弱かったり病的な人間を通すと、
学問的な生命さえも
悪意のある政治的な激情によって汚染され、
ゆがめられ得るものであるということを見たのであった。
言うまでもなく、そのビラの内容は
ヴォルフガングが私に折にふれて説明してくれた
一般相対性理論に対するいろいろな私の疑念を払いのけ、
いまやこの理論の正しさにかえって確信をもたせることとなった。

というのは、私はミュンヘンの内乱の経験によって
すでにずっと以前から、
政治的な方針は、大声で宣伝したり、
あるいはおそらくは本気で達成しようと努力している
目標によって決して判断すべきではなく、
その実現のために使用される
手段によってだけ判断しなくてはならない
ということを十分よく学んでいたからであった。
不正な手段を使うことは、
その張本人が
自分の命題(テーゼ)の説得力を
自分自身でもはや信じていない、
ということの証拠にちがいないのだ。
ここで一人の物理学者が
相対性理論に反対して使用した手段は大変まずく、
かつ事実に則していないものであったので、
明らかに、この反対者は相対性理論を
学問的に論破できる望みを
すでに持っていないことを示していた。
だが、このような幻滅の後では、
私はアインシュタインの講演にも、
もはや身を入れて聞くことができなかったし、
会議が終った後で、
たとえばゾンマーフェルトの紹介によって
アインシュタインと個人的に知り合おうという努力もあえてしなかった。
意気消沈してホステルヘもどった私は、
私の全財産、つまりリュックサックとともに
下着も着替の背広も、
そっくり盗まれたことを知らねばならなかった。
幸いにもまだポケットの中に、往復切符だけは持っていた。
私は駅へ行ってミュンヘン行きの次の汽車に乗った。
「部分と全体」みすず書房より
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