もし、私が実際にお会いした人の中で、
最大級の天才といえば、
迷わず、後藤修さんを挙げることになるでしょう。
後藤修さんを初めて知ったのは、
1976年くらいだったでしょうか。
あるゴルフ雑誌の記事でした。
「ジプシー後藤」というペンネームで、
毎週、全国の飛ばし屋(ゴルファーで、ボールを遠くに飛ばせる人)
に挑戦する、という趣向でした。
経歴は、元プロ野球選手。
ジプシー後藤という名前は、プロ野球選手時代に、
松竹ロピンズ、東映、大映、巨人、近鉄、南海、西鉄と
12年間に7球団を渡り歩いたため、
ジプシー後藤と呼ばれることになったそうです。
飛ばし屋に挑戦し、ほぼ全勝しながら、
飛ばし屋たちのスイングを評論していました。
その文章が軽妙洒脱なことが印象的だったのと、
もう一つとても目を引いた、気になることがありました。
プロフィールの中に、ジャンボ尾崎の師匠
と書いてあったのです。
ジャンボ尾崎は日本を代表する
日本一のプロです。
1971年の初優勝から2002年に55歳で優勝するなど、
30年以上にわたって日本のゴルフ界に君臨してきた
日本プロゴルフ界、最大のスターです。
横柄とも言えるくらいの独特の言動があり、
極めてプライドが高いというか、
狷介孤高です。
修業時代はともかく、
誰かに教えを受けているなどとは
聞いたこともありません。
そのジャンボ尾崎の師匠?
後藤修さんは、元プロ野球選手とはいえ、
無名に近い二流選手でしたし、
ゴルフに関しては、何の戦績もなく、
プロゴルファーですらありません。
日本一のプロゴルファーが、プロゴルファーですらない男の弟子?
そんなことがあり得るの?
でも、代表的なゴルフ雑誌にまぎれもなくそう書いてある。
その連載も結局2年以上続きましたから、
ジャンボ尾崎の目にも触れているでしょうし・・・
それでも続いていると言うことは、
やっぱり本当なのか?
でもそれにしても不思議・・・
プロゴルファーですらない人が、
日本一のプロゴルファーの先生?
何だかとても不思議な思いを持っていました。
ジャンボは71年から80年まで、
1位5回、2位2回、3位2回と抜群の成績で、
日本プロゴルフ界興隆の立役者、
その後台頭してきた青木功、中島常幸と共に、
AON時代を築きました
1971賞金ランキング 1位 18,120,000円 24歳
1972賞金ランキング 1位 29,280,000円
1973賞金ランキング 1位 43,814,000円
1974賞金ランキング 1位 41,846,908円
1975賞金ランキング 2位 27,658,148円
1976賞金ランキング 3位 24,608,872円 29歳
1977賞金ランキング 1位 35,932,608円
1978賞金ランキング 2位 29,017,286円
1979賞金ランキング 8位 20,134,693円
1980賞金ランキング 3位 35,415,876円 33歳
しかし、81年くらいから84年まで、
ジャンボ尾崎は絶不調に陥りました。
賞金ランキングも急降下。
1981賞金ランキング 28位 9,722,902円 34歳
1982賞金ランキング 16位 16,699,314円
1983賞金ランキング 6位 31,129,261円
1984賞金ランキング 19位 19,541,606円 37歳
他のスポーツと違い、
ゴルフの場合は単なる体力勝負ではありませんので、
34歳から37歳という時期は、
本来最も油がのりきった最盛期であって、
衰える時期ではありません。
しかし、81年からは新たに台頭した
倉本昌弘の台頭や、青木功、中島常幸の大活躍の陰に隠れて、
ジャンボ尾崎は全く陰を潜めました。
時々思い出したように一勝するのですが、
もう半ば忘れ去られた存在になっていたのです。
つづく