パリにいたのは82年の春から85年にかけてでした。
パリにいた目的は、何かをするためではなく、
ただフランスにいること。
そこに存在すること、
ただそれだけでした。
森有正に導かれて、
パリに存在するため、
パリで息をするため、
そこで石の硬質の密度に晒されるために
パリに来たのでした。
その前のアメリカでは、
毎日16時間以上、勉強ばかりしていました。
食事時間と睡眠時間以外、
ずっと勉強ばかりでした。
あんなに勉強ばかりしていたのは、
初めてでした。
アメリカでは何かを為すため、doingでしたが、
パリではただそこにいるため、beingでした。
森有正さんは76年に亡くなりましたが、
森有正を最も知る人、
二宮正之先生がパリにはいました。
二宮先生は、森有正全集の中の日記を訳されたり、
「私の中のシャルトル」に、
森さんのことを深い愛情をもって書かれています。
とりわけ、「詩人が言葉をうしなう時」という一文。
これは、本当に素晴らしい一文でした。
もともと森有正全集の中に入っていましたが、
「私の中のシャルトル」に所収されています。
パリに行ってしばらくして、二宮先生に、会いに行きました。
授業に伺って、森有正の話をしたところ、
とても興味を持っていただき、
何度もお会いして、森有正の話を中心として、
語り合いました。
二宮先生を自宅にお招きして、
妻の手料理でもてなし、
深更まで語り合ったのも、良い思い出です。
そのうち、二宮先生の生徒の一人から相談を受けました。
二宮先生から小林秀雄の「当麻」「無情といふ事」「徒然草」
についての宿題が出たが、
余りに難しいので手伝って欲しい、
というのです。
早速一緒に書店に行きました。
どれもたった4ページくらいの、
極めて短い文章です。
書店でぱらぱらと眺めて、
お安いご用、とばかり気軽に引き受けました。
これが、大きな「間違い」でした。
まず「当麻」を一回読んでみました。
しかし、全く分かりません。
何のことやら、全く頭に入ってこないのです。
二回目読みました。
分かりません。
三回読んでも、まったく分かりません。
これが、自分のための単なる読書だったら、
すぐに投げ出していたと思います。
こんなの意味不明だ! と。
しかし、手伝いを気軽に引き受けてしまった後でした。
分かるまで読むしかありません。
こうして、四回、五回、六回・・・・
と読んでいきました。
しかし、何回読んでも理解できません。
たった四ページです。
それが、こんなに何度も何度も読んでも分からない。
自分に絶望しかけました。
二十回くらい読んだとき・・・でしょうか、
ようやく少しだけ「氷」が溶けてきました。
しかし、そこからがまだまだ長い道のりでした。
一文一文が心に染みわたるように分かってきたのは、
ようやく六十回を超えてからでした。
心に染みわたるようになってきてからは、
読む度に、その密度、思考の透徹さに本当に感銘を受けました。
すごい! こんなすごい人が日本にいたんだ!
という思いでした。
「当麻」を読みこなすのは大変でしたが、
一度そこを通過すると、
「無情といふ事」「徒然草」は、
数回読むだけで、染みわたるように分かってきました。
そして、それ以来、
小林秀雄は私の人生にとって本当に大切な人になりました。
5年前に「森羅万象セミナー」と銘打った連続セミナーを、
熊本で行ないました。
その3回目が小林秀雄で、
現在継続的にアップしていますので、
ぜひ読まれてください。
http://nihon-homeopathy.net/archives/seminar/sinrabansyo/index.htm
次回は、難解で名高い「死霊」を書いた埴谷雄高さんのこと、
そして埴谷雄高さんが語った、
小林秀雄についての驚くべきエピソードを
書こうと思います。