ホメオパシーの専門的セッションでは、よく
「あなたの人生で大きな出来事は、どんなことでしょうか?」
という質問をすることがあります。
これは、その人の現在を創り出しているところの
根源的な力を見い出していこうとして出てくる質問です。
私自身がもしこの質問を受けたら、何て答えるでしょうか?
私の場合、大きな出来事は実は多くあるように思います。
3歳の時、
14歳の時、
18歳の時、
19歳の時、
21歳の時・・・これが一番大きいのですが・・・、
24歳の時、
36歳の時、
38歳の時・・・これが一番に近い二番目です、
48歳の時
いずれ少しお書きすることになるかもしれません。
大きな出会いは、
親との出会い、
音楽との出会い、
数学・物理学との大学1年の時の出会い、
Debateとの出会い・・・特に死刑のDebate、
森有正との出会い、
ハイゼンベルグとの出会い、
小林秀雄との出会い、
埴谷雄高さんとの出会い、
デカルトとの出会い、
仏陀との出会い、
妻との出会い、
子供たちとの出会い、
後藤修さんとの出会い、
生徒との出会い、
・・・
いろいろとあります。
ここに書いたどの出来事や出会いも、
それ無しでは現在の私を考えることはとうてい出来ないような、
大きな出来事であり、出会いです。
今日は、音楽との出会いについて、少し書きたいと思います。
小さい頃から、ヴァイオリンとピアノを習っておりました。
これは、典型的な「お稽古事」です。
毎週、木曜日に先生に習っておりましたが、
会場に行って初めて練習する始末で、
もちろん上達などするはずもありません。
ヴァイオリンもピアノも、いわゆる中級程度の曲を
何とかこなした程度です。
しかし、クラシック音楽そのものには全く興味がありませんでした。
ただ、歌は好きで、野口五郎や井上陽水を口ずさんだり、
森進一にはしびれていたりしました。
しかし大きな転機が訪れました。
高校2年生の時です。
つまり、今から30年以上も前のことになります。
毎日バスで一緒だったクラスメートの一人が、
ピアノ曲とピアニストの話をしたのです。
ショパンのエチュードという曲です。
エチュードとは、練習曲という意味です。
確かに総合的な技術を磨くのに最適な曲なのですが、
さすがはショパン、
無味乾燥な曲(ハノンのような)ではなく、
極めて音楽的な香りが溢れる、素晴らしい曲です。
この曲のレコードはいろいろとあるのですが、
いろいろなピアニストの演奏の特徴について、
実に面白く話をしてくれました。
それを聞いてびっくりしました。
同じ曲なのに、演奏者でそんなに違うなんて!
ぜひ聴いてみたい! と強烈に思いました。
それで、春休みの間に聞き比べをしようと思って、
3種類のレコードを買ってきました。
マウリツィオ・ポリーニの全曲盤
ヴラディミール・アシュケナージの全曲盤、
ヴラディミール・ホロヴィッツのショパン選集、
この3人のレコードです。
さあ、違いを聞き分けるぞ!
と張り切ってレコード盤に針を降ろし、耳を澄ましました。
まず、ポリーニ・・・素晴らしい!
次にアシュケナージ・・・これも素晴らしい・・・けれど・・・
そしてホロヴィッツ・・・確かにこれも素晴らしいけれど・・・
ぜんぜん違いなんか分からない!!!
どれも全く同じにしか聞こえませんでした。
あんなにも友人が熱く語っていた、
ピアニストによる違いなど、私には全く分かりませんでした。
これはどういうことなんだろう、
私の聴き方が悪いのか、
それとも友人が大げさに言っているのか、
分かりませんでしたが、
春休み中で、幸い時間がたっぷりあったので、
何度も聞いてみることにしました。
まずポリーニ、アシュケナージの全曲盤を聞き、
次にホロヴィッツの盤からエチュードを選んで聴きました。
3枚のレコードを全部聞くのに、2時間半くらいかかりました。
それを一日中応接間にこもりっきりで、聞きました。
1日、2日、3日、と過ぎていきました。
一週間くらいした時でしょうか。
もう40回以上通して聴いていました。
ふと気がつくと、いつの間にか3つの演奏の違いを
はっきりと聞き分けることができるようになっていました。
・・・・・・というか、3つの演奏は全く違っていたのです。
この3つのレコードが同じように聞こえたなんて、
信じられないくらい違っていたのです。
耳が慣れていきますと、
ポリーニとアシュケナージとは、
音そのものからして、全く違っていました。
ポリーニの音は、大理石のような
明るく澄み切った、輝かしい、
これぞスタインウェイ! という、
ピアノの王道のような音。
アシュケナージの音は、
ピアノの弦をボーンと弾くような、
ヴェーゼンドルファー的な弦楽器の音。
(実際にはスタインウェイだと思いますが)
ホロヴィッツの音は、
ピアノの鍵盤を鋭く打ち抜いているような、
陰影が官能的に彩っているような、
妖艶で冷たく冴えた音。
ほんとうに全く違う音でしたし、演奏でした。
まるで、バナナとオレンジとパイナップルが違うくらい違うのです。
こんなに違うのに、同じようにしか聞こえないとは、
いったい何を聞いていたのでしょうか?
このことは、とても大きな経験でした。
ちょっと見たり聞いたり、
ちょっと体験しただけで物事を判断することは、
非常に危険であることを知ったのです。
それを理解する土壌が育っていなければ、
どんなに素晴らしいものも
何も理解できないし、何も意味しない。
そして、最初はまったく分からなくても、
その時の私のように、どうしようもないくらい鈍感でも、
何度も何度も(場合によっては百回以上)
繰り返して聴いたり、読んだりするうちに、
次第に「畑」が耕され、
分からなかったものが、いつしかはっきりと分かるようになる、
ということを実感したのです。
そのうち、同じピアニストが、同じ時期に、同じピアノを使って演奏しても、
レコード会社が異なると、まるで音が違ったり、
楽器が違うと、もちろん違う音や演奏になったり、
同じレコード会社でもエンジニアが違うと、
まるで音が違ったりすることに、驚かされました。
またびっくりしたのは、オーディオが違うと、
まるで違う演奏にもなったりしたことでした。
「このヴァイオリニストの音は、神経質で聞くのがつらい、
世評では名盤の誉れ高いけれど、
実際に聴いてみると、とてもヒステリックで嫌な音だ」、と思っていたら、
友人の高級なオーディオで聴くと、
魂が打ち震えるような、緊張感あふれる名演奏に変身したりして、
本当にびっくりしました。
それまでは、一度聴いた第一印象で駄目だと思うと、
もうこれは、駄目、と決めつけていました。
しかし、そうではない、
全てが相互作用なんだ、ということを実感しました。
「絶対的な姿」というものはない、ということです。
つまり、仏教的に言うと、「縁」ということです。
現在の姿は、現在の縁によって現在の状態になっているだけで、
それが「究極的姿」ではない。
私たちは、あたかも「これはこれなんだ!」という
「絶対的な姿」なるものが、あるように思いこんでいますが、
そんなものは、存在しない、
全ての「形あるもの」は、最終的な実在ではない、
縁によって(相互作用によって)仮に作られている、
仮構された仮の世界に過ぎない、ということでした。
ただ、これで話は終わりなのではなく、
本当はそこを超えたところに、「最終的実在」が初めて存在します。
演奏家の音も、いろいろな条件によって全く違いますが、
そういう違いを超えたところに、やはり「その人の音」というのが、
最終的には存在するのですが、
またいつか、それについても書きたいと思います。
ともかく、これを皮切りに、クラシック音楽にのめり込んでいきました。
ショパンのエチュードの経験から、
同じ曲をいろいろな演奏家で聞き比べるという癖がついたようです。
甚しいのは、バッハのシャコンヌという曲です。
「もし絶海の孤島に行くとして、
3つの曲だけ持って行くことが許されるとしたら、
何の曲にするか?」
という話がよくクラシック音楽の雑誌に載っていましたが、
代表的な答えの一つは、バッハの3つの曲です。
すなわち、マタイ受難曲、パッサカリア(オルガン)、
そしてこのシャコンヌ(ヴァイオリン)です。
どれも、すっごい曲です。
シャコンヌは、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ
という大曲の中に含まれる、15分に及ぶ壮大な曲です。
最初に買ったのは名盤の誉れ高いシェリング、
確かに格調高い、いつ聴いても素晴らしい演奏です。
ただし、多少音量を大きくして聴かないと、
この演奏の本当の良さが分かりません。
そして、ヨーゼフ・シゲティー、
最も好きな愛聴盤です。
崇高な精神性と官能性が溶け合った、
魂が揺さぶり動かされる演奏。
ハイフェッツ、エネスコ、アッカルド、アーヨ、
チョン・キョン・ファ、グリュミオー、ギトリス、
ヘンデル、クレーメル、クイケン、メニューヒン、ミルシュタイン、
パールマン、パスキエ、シュムスキー、シトコヴェツキ、ヒラリー・ハーン・・・
と聴いていくうちに、いつしか数も増え、
この曲のLPやCDを見つけると自動的に買ってしまう、
という状況に陥りました。
もちろん他の楽器による編曲盤も見逃せません。
ピアノ、チェンバロ、ギター、リュート、
ハープ、ダブルベース、オーケストラ・・・
いつしかこの曲だけで120を超える数になりました。
こういう曲が他にもいくつかあります。
ショパンのエチュードも30種類以上、
ベートーベンの交響曲全集も40種類以上、
ベートーベンのピアノソナタは100種類以上・・・
というように。
これは、いささか「病的」な聴き方のように思います。
特定の曲に偏っているからです。
かつてはショパン、シューベルト、シューマン、
ブラームス、フランク、メンデルスゾーン
などのロマン派が好きで、
何だかセンチメンタルな気分に「プルーヴィング」したり、
古楽愛好グループに入って、
ラモーやモンテヴェルディー、ジョスカン・デュ・プレのような
古い音楽に喜びを見いだしたり、
シェーンベルクやウェーベルン、
ショスタコーヴィッチの現代音楽にも心躍らせたり、
また悪評高い「実験音楽」にもシンパシーを感じていたりしましたが、
今はほとんどバッハ、時々ベートーベン、
という風に、とても偏っています。
今はもうCDを買いに行ったり、
じっくりと聴いたりする時間がありませんので、
音楽は随分と「サボって」いますが、
いつかまたゆっくりと演奏を楽しむ時間があれば良いなあと
思っています。