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2008年04月 アーカイブ

2008年04月01日

ブログを始めるにあたって ホメオパシーとの出会い(1)

日本でホメオパシーの専門教育を始めて、11年になろうとしています。

日本にホメオパシーという言葉が
ほとんど浸透していなかった時に、
いきなり専門教育を始めるなんて、

今考えても「無謀」以外何ものでもないと思いますが、
よくここまでこれたなあ、というのが正直な気持ちです。


とは言っても、日本のホメオパシーは、
現状はかなり特殊な状況になっているので、
早く正常化する必要がありますが、
ともあれ日本のホメオパシーは今始まったばかりです。

日本のホメオパシーを始めた者として、
これからより一層努力をしていきたいと思います。


さて、このブログでは、ホメオパシーのことはもちろん、
広く森羅万象について、自由に語っていきたいと思います。

とは言っても、ホメオパシーはもともと
森羅万象にありのままに基づくものですから、
どのようなこともホメオパシーにそのまま繋がります。

一見何の関係もなさそうな、
政治、経済、数学、物理、文学、社会学、武道、芸術、靴磨き・・・・


どんなことも実はそのままホメオパシーです。
日々、いろいろと考えたこと、気がついたこと、
感動したことを自由に書きたいと思います。


また、もちろんホメオパシーについても、自由に語っていきたいと思います。

HPにはなじまないようなことも、
ブログならば自由に書けますので、何だか楽しみです。


理想的には毎日書きたいのですが、残念ながらそうもいかないので、
週に一回くらいを目標にしたいと思います。


さて、第一日目はホメオパシーとの出会いについてです。
昨年に春秋社から出した「ホメオパシー入門」の序文に少し書きました。
今日はその序文の一部をベースに、もう少し書き足して書こうと思います。


私は大学時代にディベートDebateをやっておりました。

ディベートとは、ある提議があり、それに賛成・反対の両方の立場を研究し、
「試合」の直前にジャンケンで、賛成か反対かを決めるものです。

このディベートの経験は、私にとって人生を一変させるくらいの大きな経験でした。


それまで、私は私の「意見」なるものがあると思いこんでいました。

よく、ものの本に「自分の意見を持ちなさい。
自分の意見を持って初めて一人前の大人である」

などと書いてあって、私は単純にそう思っていたので、
一生懸命自分の意見なるものを持とうとしていたのでした。


しかし、ディベートをやって、
そんなものは極めて浅薄であることを思い知らされました。

半ば強制的に、賛成、反対の立場から
ものを真剣に調べ、考えることによって、

自分の意見なるものが、いかに自分の意見などといえるような
ものではないことを、痛感したのです。

自分が確かだと思いこんでいたものは、自分の意見などではなく、
せいぜいどこかで読んだ記事の受け売りだったり、
自分が好ましいと思っている人の意見だったり、

それに都合の良い記事や主張のみを取り入れていたり
している程度のものであったことを、思い知らされました。

ディベートについては、またいずれ詳しく書きたいと思います。


4年間のディベート生活の中で、
最もインパクトがあったのは、死刑のディベートでしたが、
もう一つ、安楽死についてのディベートもありました。

この安楽死について調べていた時に、
外国の医療制度をかなり詳しく調べました。

その時に、ヨーロッパにはホメオパシーという医療があることを知ったのです。


といっても、その当時は、
「似たものが似たものを治す」なんて、
本当に奇妙な治療法もあったものだなあ

というくらいの興味しか湧きませんでした。

2008年04月05日

ブログを始めるにあたって ホメオパシーとの出会い(2)

二回目に出会ったのが、24歳のアメリカ留学時代で、
毎日15時間以上の勉強に明け暮れていた頃です。


森有正さんという哲学者・仏文学者の著作を何度もなく読んでおりました。
デカルト・パスカルについても森有正さんに目を拓かれ、夢中になっておりました。

そのうちどうしてもフランスにいなければならない、
と強く思うようになりました。
自分という存在が、
木や紙の密度ではなく、
どうしても石の密度の文化の中で試されなければならない、
と強く思い詰めたのです。


それで、突如フランスに行こうと思い定め、
大学の交換留学制度で行こうと決めました。
その準備をしているときに、
フランスについての案内書を数冊買って読みました。


その本の中にフランスの医療についての説明がありました。
その説明にこうありました。、

「アメリカには、もはやこのような旧式な医療は存在しないが、
フランスでは未だにホメオパシーという非科学的な医療が存在し、
意外なことに非常に人気がある。
しかも臨床経験をある程度つまないと
ホメオパシーの特別な訓練を受けることができない。

ホメオパシーの原理は不思議な原理で、
現代の合理的思考にはなじまないように思えるが、
ともかくフランスではホメオパシーという不思議な医療が
非常に盛んであることを知る必要がある。

せっかくのフランス体験のエピソードとして受けてみるのも一興かもしれないが、
『本格的』病気である時にはホメオパシーではなく、
『ちゃんとした』医療を受けた方が無難であろう。」というような趣旨でした。


何だかよく分からないようなことが書いてあったのですが、
幸か不幸か私は病気一つせず、病院に行きたいような出来事もなく、
フランス滞在中にホメオパシーを経験するチャンスはありませんでした。


次に出会ったのが、それから10年以上たったロンドンでの健康ショーでした。

日本からの友人をオリンピアという大きな展示施設に案内した後に、
館内をぶらぶらしていると、ホメオパシーのブースがありました。

「そう言えば、そんな名前の変な治療法があったな」と思い、
暇つぶしにそこにいた初老の男性に、「ホメオパシーとはなんですか?」
と尋ねたのです。


するとその男性は、

「ホメオパシーの基本原理は、
『似たものが似たものを治す』という法則であるが、
もう一つとても重要な原理がある。

まあちょっと君には理解するのが難しいと思うけれども、
『薄めれば薄めるほど、その効果は強く深くなる』という原理である。

今の科学とは一見相容れないような原理であるけれども、
ホメオパシーが正しいことは臨床的に証明されている」
と言うのです。


それを聞いて、まさに天啓のように何かが閃きました。
そして、私は彼にこう言iい放ったのです。

「もしそうだとするならば、
それは物質の中に閉じこめられている莫大なエネルギーが、
薄めるというプロセスの中で徐々に解放されてゆくからに違いない。

20世紀最大の発見の一つ、
アインシュタインのエネルギー公式E=mc2は、
物質とエネルギーは等価であり、
しかもそのエネルギーは莫大であることを示しているが、
その物質の中に閉じこめられている莫大なエネルギーは、
物質の構造や形を作ることに使われている。


薄めることによって、物質は次第に「形を失う」ことになり、
その時に形や構造を作ることに使われていた
莫大なエネルギーが必然的に解放されてくる。

だからこそ、薄めれば薄めるほど、
物質性の中に閉じこめられていたエネルギーが解放され、
レメディーの効力が強く深くなるのであろう」

「またこうも考えられる。数学の割り算では、
ゼロそのものでは割ることができないが、
割る数が小さいほど、その値は大きくなる。

ちょうど真空というゼロの状態に近づくほど、
物を引き寄せる負圧の力がより強くなるように。

つまり、物質を極端に薄めてゼロの状態に近づいてゆくほど、
その物質のポテンシャルを引き出す力が強くなるのではないだろうか? 

またこうも考えられる。量子力学では・・・・・巨大共鳴・・・・・」


次から次に言葉とイメージが溢れてきたのです。

その時、その男性がほとんど呆然として私を見つめていたのを、
昨日のように思い出します。

2008年04月08日

ブログを始めるにあたって ホメオパシーとの出会い(3)

その日から堰を切ったように、毎日奔流のように、
次々にいろいろなイメージが
浮かんでは消え、浮かんでは消えていきました。


パリでレコード盤がすり切れるほど繰り返し聞いた、
フランクのヴァイオリンソナタ

ピアニストのスヴァトラフ・リヒテルと
ヴァイオリニストのダヴィッド・オイストラフが演じる
極限的な繊細さと極限的巨大なスケールが
一つに溶け合う超絶的な名演奏。

また極小の素粒子の世界が、極大の宇宙の世界に
そのまま直結する素粒子物理学と宇宙物理学。
ミクロコスモスとマクロコスモスの融合……。


そのイメージはやがて、

西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一、
武道における静と動の極限的一致、
絶対的受動と絶対的能動の一致、
愛と理性の一致、

右脳と左脳の一致、
両性具有、
禅の公案、

ゲッデルの不完全性定理、
ハイゼンベルグの不確定性原理、
ニールス・ボーアの相補性原理、
シュレディンガーの微分方程式とハイゼンベルグのマトリックス、

数学の開区間と閉区間、
微分と積分、
三体問題……

と次々と進み、枝分かれし、
凄まじいまでのエネルギーの奔流に、
私はただただ翻弄されていました。


それから私は猛然と勉強を始めました。

ホメオパシーの原典の「オルガノン」、
ケントの「ホメオパシー哲学」、
スチュアート・クローズの「ホメオパシーの精神」、
ヴィソルカスの「ホメオパシーの科学」、
さまざまなマテリア・メディカとレパートリー、
何を読んでも唖然とするばかりでした。


「今までやっていたことの全てがこの中にある。
『現象として表現されないような『隠れた本質』というものは存在しない』
という実存主義は、
それに先立つこと百五十年前、
すでにハーネマンによって、
徹底的に磨き抜かれた形でここに実現している。

理論と実際が完全に一致し、
哲学と科学が芸術的に融合している。
全てがここにある!」
そう言う思いに満たされていきました。


それまでの私はさまざまなことをやっていました。
哲学、数学、物理学、心理学、文学、音楽、武道、スポーツ・・・
何をやっても究極的に同じところを目指している、
という感覚がありました。

ちょうど円の周囲に、
哲学、数学、物理学、心理学、文学、音楽、武道、スポーツ・・・など
あらゆるものが取り巻いているけれど、
その全てが円の中心点に向かい、
中心点で一つに溶け合うイメージです。

その中心点は具体的なものではありえない。
具体的なものであったら、
全てが一つに溶け合う中心にはなり得ない。
そういう感覚がありました。

しかし、ホメオパシーを知った後、
ふと気がつくと、
そこにホメオパシーがいつの間にか
静かに座っていたのです。

これはあくまで私の個人的な感覚に過ぎません。
しかし、私個人にとって、それは大事件でした。

アメリカ・フランス留学時代、
学友からよくこう言われました。
「君の言うことは、とても面白いし共感するけれど、
君のやろうとしていることは、「仕事」にはなりえないよ。
君は単なる哲学者でもなければ、
単なる物理学者でもなければ、
単なる文学者でもなければ、
単なる歴史家でもなければ、
単なる音楽愛好家でもなければ、
単なる武道家でもない。

どのようなジャンルにも入らない。
それは、ある意味素晴らしいことだけれど、
逆に言うと、君は何者でもない、
ということでもある。
君はいったいどうなるんだろうね。」


このように言われて、
その度に、
嬉しいような、
悲しいような、
誇らしいような、
みじめなような、
何ともいえない思いを味わっていました。

「自分の居場所がない」、
「誰にも理解されない」、
「宇宙に独りぼっち」

「でもソクラテスや、仏陀や、
キリストや、デカルトや、パスカルや、
ニーチェや、ショーペンハウエルや、
フロイトとは、いい友だち」

そういう感覚を深く持っていました。

しかし、それが全て逆転したのです。
これは、正にコペルニクス的転回とでも
呼ぶべき、画期的な転回でした。

「ついに道が見えた。
今こそ明確に私の進むべき道が見えた。
そうか、これに出会うために、
今までの遠回りに見える人生があったのか」
という思いが私を圧倒しました。

今までやった全てが
両手両足を伸ばしてここに活きてくる。
ただ単に、「どんなことも全てに通じるものがある」
という抽象的なことだけではなく、
全ての具体的なことが、
ひとつひとつすべてその本来の場所を与えられ、
全てがそっくりそのまま活きてくる、

そういう圧倒される感覚でした。


そのうちに、私の中で翻然と、
「どうしてもこれを伝えなければならない!」
という決意が生まれました。

そして、由井寅子さんとロンドンで意気投合し、
共同で通信教育の学校を立ち上げました。
これが現在のロイヤル・アカデミーです。

由井さんとはやがて袂を分かち、
私は新たな構想の下で
ハーネマン・アカデミーを立ち上げましたが、
ホメオパシーについて多くのことを語り合ったことは、
今も良き思い出です。


それから十数年が経ちました。
最初はほとんど誰もホメオパシー
という言葉さえ知りませんでしたが、
今ではテレビで放映されたり、
入門書も何冊か出そろったり、
素晴らしい専門書も何冊か出たり、
今ではずいぶんと知られるようになりました。

しかし、日本における真のホメオパシーの幕開けは、
今始まったばかりなのです。
このささやかなブログが、
その幕開けに少しでも貢献できることを、
心から願っています。

2008年04月14日

「医師」とは「本来」何をする人なのか?

ホメオパシーは今から200年前に建設されました。
道理のみに基づいた新しい医療として建設されましたが、
医療といってもピンからキリまであります。

現在一般的に医療といわれているものは、
大学の医学部で教えられ、
医師によって病院の中で行われているものが
一般的に医療ということになっています。

もちろんこれも医療ということになる訳ですが、
医療とは本来何なのか、ということについて
考えていきたいと思います。

医療は、人間に対して行われるものです。
これは当たり前のことですね。
(もちろん動物の場合は獣医、樹木の場合は樹木医ですが。)

もともと英語では医師のことをphysicianと呼びます。
medical doctorという言い方もありますが、
もともとphysicianと呼びます。
physicianという言葉の源ですが、
physisというギリシア語です。
自然、自然の変化、自然の成長、自然の原理、自然の道理、
そういう意味です。

このphysisという言葉から派生した職業は二つありまして、
一つはphysicistです。
自然科学者、物理学者と呼ばれていますが、
いわゆる物質的な自然、
その変化、またその変化を生じる原理・道理、
それを探求し、心得る者、それがphysicistです。

もう一つがphysicianです。
つまり、人間の道理、人間の様々な変化、成長、
その変化や成長の原理、道理をわきまえる者です。

病は人間という自然の道理に基づいて起こります。
そして病からの治癒も、人間という自然の道理に基づいて起こります。
その人間における自然の道理を心得て、
病の状態から本来の健康な状態に導くことが出来る者、
これがphysician、医師という言葉の本来の意味です。

ですから一番大事な事は、人間そのものに通じるということです。
これが一番重要なことです。
人間という自然は、非常に広大なものです。
しかし、現在行われている医学教育は、
人間という自然のごく一部、
解剖的、生理学的、病理的なもののみを対象とします。

もちろんそれらは人間という自然の非常に重要なところです。
ですから、もちろんそれも深く学ばなければなりません。
しかし、それだけでは足りません。
まったく足りません。

人間について、本質的な洞察、
人間というものがどういうことによって動いたり、動かされたり、
どんなことによって影響を受けたりということを、
ただ単に解剖学、病理学、生理学的な見地からのみ、
その変化や結果を知るだけではなく、
人間の水位、人間のレベル、
そういうところから様々な事を知り、洞察し、
そしてその心得に基づいて、
病の状態から本来の健康の状態へ導いていく事、
これこそが非常に重要なことです。


ホメオパシーは、そのように、
人間の道理に基づいた本質的な医療を目指して
打ち立てられました。

ですから、何よりもまず人間そのものについての道理、
人間についての洞察、関心、理解、愛情、共感、
さまざまなものがどうしても必要となります。

病とは、単なる病理学的な変化なのではありません。
人間の本質的な成長に不可欠な「負荷」です。
我々の中に何か解決すべき課題がある、不調和がある、
それを表現し、示してくれる唯一の表現が症状であり、病です。
それに正しく対峙し、正対し、
そしてそれを本質的に解決することによって
私たちの人生のクオリティーが高まることができます。

逆に言いますと、
私たちの人生のクオリティーは、
私たちの前に現前する課題に正しく対峙し、
それを本質的に乗り越えることによってのみ、
高まることができます。
それ以外に私たちの人生のクオリティーが上がっていく道は、
ありません。
それが病の本質的な意味でもあります。

2008年04月15日

大きな出来事 (1)

ホメオパシーの専門的セッションでは、よく
「あなたの人生で大きな出来事は、どんなことでしょうか?」
という質問をすることがあります。

これは、その人の現在を創り出しているところの
根源的な力を見い出していこうとして出てくる質問です。


私自身がもしこの質問を受けたら、何て答えるでしょうか?

私の場合、大きな出来事は実は多くあるように思います。

3歳の時、
14歳の時、
18歳の時、
19歳の時、
21歳の時・・・これが一番大きいのですが・・・、
24歳の時、
36歳の時、
38歳の時・・・これが一番に近い二番目です、
48歳の時

いずれ少しお書きすることになるかもしれません。


大きな出会いは、

親との出会い、
音楽との出会い、
数学・物理学との大学1年の時の出会い、
Debateとの出会い・・・特に死刑のDebate、
森有正との出会い、
ハイゼンベルグとの出会い、
小林秀雄との出会い、
埴谷雄高さんとの出会い、
デカルトとの出会い、
仏陀との出会い、
妻との出会い、
子供たちとの出会い、
後藤修さんとの出会い、
生徒との出会い、
・・・

いろいろとあります。
ここに書いたどの出来事や出会いも、
それ無しでは現在の私を考えることはとうてい出来ないような、
大きな出来事であり、出会いです。


今日は、音楽との出会いについて、少し書きたいと思います。
小さい頃から、ヴァイオリンとピアノを習っておりました。
これは、典型的な「お稽古事」です。

毎週、木曜日に先生に習っておりましたが、
会場に行って初めて練習する始末で、
もちろん上達などするはずもありません。
ヴァイオリンもピアノも、いわゆる中級程度の曲を
何とかこなした程度です。
しかし、クラシック音楽そのものには全く興味がありませんでした。
ただ、歌は好きで、野口五郎や井上陽水を口ずさんだり、
森進一にはしびれていたりしました。

しかし大きな転機が訪れました。
高校2年生の時です。
つまり、今から30年以上も前のことになります。
毎日バスで一緒だったクラスメートの一人が、
ピアノ曲とピアニストの話をしたのです。
ショパンのエチュードという曲です。
エチュードとは、練習曲という意味です。
確かに総合的な技術を磨くのに最適な曲なのですが、
さすがはショパン、
無味乾燥な曲(ハノンのような)ではなく、
極めて音楽的な香りが溢れる、素晴らしい曲です。


この曲のレコードはいろいろとあるのですが、
いろいろなピアニストの演奏の特徴について、
実に面白く話をしてくれました。

それを聞いてびっくりしました。
同じ曲なのに、演奏者でそんなに違うなんて!
ぜひ聴いてみたい! と強烈に思いました。


それで、春休みの間に聞き比べをしようと思って、
3種類のレコードを買ってきました。
マウリツィオ・ポリーニの全曲盤
ヴラディミール・アシュケナージの全曲盤、
ヴラディミール・ホロヴィッツのショパン選集、
この3人のレコードです。

さあ、違いを聞き分けるぞ!
と張り切ってレコード盤に針を降ろし、耳を澄ましました。
まず、ポリーニ・・・素晴らしい!
次にアシュケナージ・・・これも素晴らしい・・・けれど・・・
そしてホロヴィッツ・・・確かにこれも素晴らしいけれど・・・

ぜんぜん違いなんか分からない!!!
どれも全く同じにしか聞こえませんでした。
あんなにも友人が熱く語っていた、
ピアニストによる違いなど、私には全く分かりませんでした。


これはどういうことなんだろう、
私の聴き方が悪いのか、
それとも友人が大げさに言っているのか、
分かりませんでしたが、
春休み中で、幸い時間がたっぷりあったので、
何度も聞いてみることにしました。
まずポリーニ、アシュケナージの全曲盤を聞き、
次にホロヴィッツの盤からエチュードを選んで聴きました。
3枚のレコードを全部聞くのに、2時間半くらいかかりました。
それを一日中応接間にこもりっきりで、聞きました。
1日、2日、3日、と過ぎていきました。


一週間くらいした時でしょうか。
もう40回以上通して聴いていました。


ふと気がつくと、いつの間にか3つの演奏の違いを
はっきりと聞き分けることができるようになっていました。
・・・・・・というか、3つの演奏は全く違っていたのです。

この3つのレコードが同じように聞こえたなんて、
信じられないくらい違っていたのです。
耳が慣れていきますと、
ポリーニとアシュケナージとは、
音そのものからして、全く違っていました。


ポリーニの音は、大理石のような
明るく澄み切った、輝かしい、
これぞスタインウェイ! という、
ピアノの王道のような音。

アシュケナージの音は、
ピアノの弦をボーンと弾くような、
ヴェーゼンドルファー的な弦楽器の音。
(実際にはスタインウェイだと思いますが)

ホロヴィッツの音は、
ピアノの鍵盤を鋭く打ち抜いているような、
陰影が官能的に彩っているような、
妖艶で冷たく冴えた音。

ほんとうに全く違う音でしたし、演奏でした。
まるで、バナナとオレンジとパイナップルが違うくらい違うのです。
こんなに違うのに、同じようにしか聞こえないとは、
いったい何を聞いていたのでしょうか?

このことは、とても大きな経験でした。
ちょっと見たり聞いたり、
ちょっと体験しただけで物事を判断することは、
非常に危険であることを知ったのです。

それを理解する土壌が育っていなければ、
どんなに素晴らしいものも
何も理解できないし、何も意味しない。


そして、最初はまったく分からなくても、
その時の私のように、どうしようもないくらい鈍感でも、
何度も何度も(場合によっては百回以上)
繰り返して聴いたり、読んだりするうちに、
次第に「畑」が耕され、
分からなかったものが、いつしかはっきりと分かるようになる、
ということを実感したのです。

そのうち、同じピアニストが、同じ時期に、同じピアノを使って演奏しても、
レコード会社が異なると、まるで音が違ったり、
楽器が違うと、もちろん違う音や演奏になったり、
同じレコード会社でもエンジニアが違うと、
まるで音が違ったりすることに、驚かされました。


またびっくりしたのは、オーディオが違うと、
まるで違う演奏にもなったりしたことでした。

「このヴァイオリニストの音は、神経質で聞くのがつらい、
世評では名盤の誉れ高いけれど、
実際に聴いてみると、とてもヒステリックで嫌な音だ」、と思っていたら、
友人の高級なオーディオで聴くと、
魂が打ち震えるような、緊張感あふれる名演奏に変身したりして、
本当にびっくりしました。


それまでは、一度聴いた第一印象で駄目だと思うと、
もうこれは、駄目、と決めつけていました。
しかし、そうではない、
全てが相互作用なんだ、ということを実感しました。
「絶対的な姿」というものはない、ということです。

つまり、仏教的に言うと、「縁」ということです。
現在の姿は、現在の縁によって現在の状態になっているだけで、
それが「究極的姿」ではない。

私たちは、あたかも「これはこれなんだ!」という
「絶対的な姿」なるものが、あるように思いこんでいますが、
そんなものは、存在しない、
全ての「形あるもの」は、最終的な実在ではない、
縁によって(相互作用によって)仮に作られている、
仮構された仮の世界に過ぎない、ということでした。

ただ、これで話は終わりなのではなく、
本当はそこを超えたところに、「最終的実在」が初めて存在します。

演奏家の音も、いろいろな条件によって全く違いますが、
そういう違いを超えたところに、やはり「その人の音」というのが、
最終的には存在するのですが、
またいつか、それについても書きたいと思います。

ともかく、これを皮切りに、クラシック音楽にのめり込んでいきました。
ショパンのエチュードの経験から、
同じ曲をいろいろな演奏家で聞き比べるという癖がついたようです。
甚しいのは、バッハのシャコンヌという曲です。


「もし絶海の孤島に行くとして、
3つの曲だけ持って行くことが許されるとしたら、
何の曲にするか?」
という話がよくクラシック音楽の雑誌に載っていましたが、
代表的な答えの一つは、バッハの3つの曲です。
すなわち、マタイ受難曲、パッサカリア(オルガン)、
そしてこのシャコンヌ(ヴァイオリン)です。
どれも、すっごい曲です。


シャコンヌは、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ
という大曲の中に含まれる、15分に及ぶ壮大な曲です。
最初に買ったのは名盤の誉れ高いシェリング、
確かに格調高い、いつ聴いても素晴らしい演奏です。
ただし、多少音量を大きくして聴かないと、
この演奏の本当の良さが分かりません。


そして、ヨーゼフ・シゲティー、
最も好きな愛聴盤です。
崇高な精神性と官能性が溶け合った、
魂が揺さぶり動かされる演奏。

ハイフェッツ、エネスコ、アッカルド、アーヨ、
チョン・キョン・ファ、グリュミオー、ギトリス、
ヘンデル、クレーメル、クイケン、メニューヒン、ミルシュタイン、
パールマン、パスキエ、シュムスキー、シトコヴェツキ、ヒラリー・ハーン・・・


と聴いていくうちに、いつしか数も増え、
この曲のLPやCDを見つけると自動的に買ってしまう、
という状況に陥りました。
もちろん他の楽器による編曲盤も見逃せません。
ピアノ、チェンバロ、ギター、リュート、
ハープ、ダブルベース、オーケストラ・・・
いつしかこの曲だけで120を超える数になりました。


こういう曲が他にもいくつかあります。
ショパンのエチュードも30種類以上、
ベートーベンの交響曲全集も40種類以上、
ベートーベンのピアノソナタは100種類以上・・・
というように。


これは、いささか「病的」な聴き方のように思います。
特定の曲に偏っているからです。

かつてはショパン、シューベルト、シューマン、
ブラームス、フランク、メンデルスゾーン
などのロマン派が好きで、
何だかセンチメンタルな気分に「プルーヴィング」したり、
古楽愛好グループに入って、
ラモーやモンテヴェルディー、ジョスカン・デュ・プレのような
古い音楽に喜びを見いだしたり、
シェーンベルクやウェーベルン、
ショスタコーヴィッチの現代音楽にも心躍らせたり、
また悪評高い「実験音楽」にもシンパシーを感じていたりしましたが、
今はほとんどバッハ、時々ベートーベン、
という風に、とても偏っています。


今はもうCDを買いに行ったり、
じっくりと聴いたりする時間がありませんので、
音楽は随分と「サボって」いますが、
いつかまたゆっくりと演奏を楽しむ時間があれば良いなあと
思っています。

2008年04月16日

靴磨き (1)

この一ヶ月、実は素晴らしい出会いが連続し、
多くのことが繋がり、実を結ぼうとしています。

もう少しで、その第一弾を皆さんにご報告できそうです。
請う、ご期待!!! です。


さて、私には突如として何かに夢中になる、という癖があります。
そして、かなりとことんやります。

最近「はまった」ものに、靴磨きがあります。
もともと靴磨きには全く興味がありませんでしたし、
靴にも全く興味がありませんでした。

まあ普通に履けるものでしたら、何でも良かったのです。
靴磨きは、おそらく年に一回か二年に一回。
よほどひどく汚れた時に、仕方なく行っていました。
また、時々駅にいらっしゃる靴磨きの方に、お願いする程度でした。
まあ、ごくごく普通というか、どこにでもいる大多数の一人でした。


3年前くらいでしょうか。
大事なミーティングがあって、急いで帝国ホテルに行きました。
少し早めに到着したのですが、
ふと足下を見ると、靴がひどく汚れています。
いくらなんでもこの靴で大事なミーティングに臨むのは、ちょっと・・・
と思い、帝国ホテルの地下にある靴磨きコーナーに行きました。

そこには少し頭が白くなられた方が、
素敵な紳士の靴を磨かれているところでした。
待っているうちに、靴を磨かれていらっしゃる方の話が耳に入りました。
その話がひどくおもしろいのです。


「やみくもに靴に靴墨を塗りたくるようでは
プロの仕事とは言えません。
革には、すべて目の方向があって、
その目に沿ってちょっとづつ墨をすり込みます。

靴墨には、大きく二種類あって、
革に栄養を与えるのが主な役割のクリームと、
光沢を与える固形のワックスとがあります。
一番大切なことは、光沢を出すことではなくて、
革に必要な栄養を切らさずに与えることです。

人間と同じで、革もおなかが空いたら
どんどんくたびれてきます。
ですから、まず定期的に栄養補給することが大切です。

それには柔らかい練りクリームを使います。
主に栄養を与えますが、
光沢を与えるワックスも若干入っていますから、
この栄養クリームだけでも十分です。

光沢をもっと出して、輝くようにするために、
固形のワックスがあります。
このワックスにも栄養分も少しは入っていますが、
主には光沢を出すために使います。

特にこのワックスを使う時が、プロの技の見せ所です。
プロはまず革を触って、革の目を探します。
そして、その方向に沿って、
ワックスを少しづつ少しづつすり込みます。
時々、ちょっとだけ水を含ませて、
ワックスを延ばしますと、きれいな光沢が出てきます。

プロは、手を汚しません。
ほら、私の手を見てください。
一日中毎日靴を磨いていますが、
手が黒くなっていないでしょう?
必要なだけ布にワックスを付けますし、
そのワックスは革に全部入っていくので、
手にはつかないんです。

そして、革が『もうおなかがいっぱいです。』となった時には、
もうワックスが入っていかなくなります。
もうそれ以上靴墨を入れようとしても、入りません。
人間と同じですよ。

靴磨きというのは、人間の医療と同じなんです。
人間の医療も、人間の道理に基づいているはずでしょ。
靴も同じなんです。
靴の道理、革の道理に基づいて手入れをしなければならないんです。」


どこかで聞いたような話と同じになってきた!!!
聞いているうちに、すっかり魅せられてしまいました。

2008年04月26日

靴磨き (2)

それ以来、時々その人の話を聞くために、
時々帝国ホテルで靴を磨くようになりました。
以下、その方を師匠とお呼びします。


そこには、いろいろな方が来られます。
政治家、実業家、映画スター、スポーツ選手・・・
思いがけず、女優の栗原小巻さんには3度会いました。

ある年末の忙しい時、
行ってみると、とても混み合っていて、
5人くらい並んでいました。

実は、もう一人若い方も靴を磨いてくださるのですが、
私が目指しているのは、もちろん師匠。
並んでいる方も同じとみえて、
若い方の方に並んでいるのは、1人だけでした。

もちろん帝国ホテルで認められていらっしゃる方ですから、
若い方も腕は良いのですが、
トータルな力はまだまだ師匠には及びません。

師匠は、ゆったりとしている時には、一人30分、
混んでいる時でも15分から20分はかけるので、
これは相当に待つなあ、と思っていました。

私のすぐ前には、大きな紙袋を抱えた上品な女性が、
少し落ち着かなさそうに待っていました。

時々時計を見ながら、どうしよう、遅れちゃう、
という感じに見えます。
スカーフと品の良いサングラス姿でした。

どことなく見たことがある人だなあ、と思ったのですが、
ちょうど読みかけの面白い本がありましたので、
その女性のことは余り気に留めず、
本を読んでおりました。


1時間くらいしたでしょうか。
前の女性の番がようやく来ました。
紙袋から靴が入った箱を8つ!取り出すと、
「金ちゃん、これお願いします。」
と言って、にこっと微笑まれました。
そのお顔がとっても美しく、また上品でした。

すると師匠は、
「小巻ちゃん、今日もずっと待ってたの?
預けるんなら、並ばないでちょっとそこに置いてくれたら良かったのに・・・
今日は本番あるんじゃないの?」
と言われるのです。

「そうなの。実はもうすぐ行かなくてはならないので、
これ、お願いします。
今日はちょっと急いでいるので、ごめんなさい」
と言われました。

そして私にも「お待たせしてごめんなさい。」
と行って、深い会釈をして足早に去っていきました。

えっ 小巻ちゃん? ああそうか栗原小巻さんだったんだ。
なるほど・・・彼女はやっぱり普段からそういう人なんだ。
映画「忍ぶ川」以来、彼女のファンだった私は、
すっかり感じ入ってしまいました。

師匠の前に座ると、すぐに
「今の方は栗原小巻さんだったんですね」
と聞きました。

「そうなんです。預けていかれるだけなんだから、
さっと私の横に靴を置いていって下されば良いのに。
何度そう言っても、栗原さんは必ず並ばれるんです。
他の方や私に迷惑をかけるから、って。
たった数秒のことですから、別に誰にも迷惑をかけるわけでもないのにね。
付き人だっていらっしゃるのに、
絶対にご自分で持ってこられて、
必ず並ぶんですよ。
もう、まいっちゃいますね。」

ホントにまいちゃいました。

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