靴磨き (3)
帝国ホテルの師匠から、靴磨きの薫陶を受けてから、
にわかに靴磨きに興味を持ち始めました。
早速クリームやワックス、クリームを塗布する筆ブラシ、ブラシなどを購入しました。
まず、クリームを筆ブラシにつけて、まんべんなく塗布します。
そして、柔らかめのブラシでこすると、
それだけで本来の艶を取り戻します。
普通は、これで十分なのですが、
私は師匠の技を見ていますので、
それだけでは満足できません。
そこで、師匠を見よう見まねで、
一段上の磨きに挑戦することにしました。
ワックスを使う磨きの方法ですが、
まず、柔らかいコットンの布に少し水を含ませます。
そこに固形ワックスを少しつけて、
靴に擦り込んでいきます。
少し圧力をかけながら
まんべんなく擦り込んでいきます。
この時、師匠は「目」に沿って擦り込むのですが、
私は残念ながら未だ「目」が分かりません。
ですので、「適当に」円を描きながら擦り込みます。
何度も何度も少量づつワックスを擦り込むうちに、
次第にクリームとは違う次元の光沢が出てきます。
このワックスを使う磨きは、ちゃんとやろうとすると、
実は結構大変です。
まず、本当にピカピカにしたいところを決めます。
ワックスは、光る代わりに柔軟性がありませんので、
靴の先とか、かかとの部分は、
ワックスを重点的に塗って、
輝くばかりの鏡面仕上げが可能です。
しかし、他の可動部分を鏡面仕上げにしますと、
磨いている時は良くても、
履いているうちに、すぐにしわになったり、
ワックス部分がはげてきたり
その後のアフターケアが大変です。
ですから、靴の手入れの本を読みますと、
鏡面仕上げにするのは、
靴の両端だけで、可動部はしてはならない、
と書いてあります。
しかし、病膏肓(こうこう)に入いる、と申しますか、
駄目だ、と言われたら、ますますやってみたくなります。
誰にも迷惑をかけるのではないし(と思ったのが浅はかでしたが)、
せいぜい、最悪の状態でも自分の靴が一足駄目になるだけだ、
と思い、靴の全部分を鏡面仕上げにすることに挑戦してみました。
これが、大変でした。
まず、鏡面仕上げにするには、
その部分を20回以上は、磨く必要があります。
一回磨くだけでも、10分はかかります。
時々水を付けながら、ワックスを擦り込んでいきます。
そして、その後で余分のワックスを拭き取ります。
拭き取りながら、磨いてゆきます。
これを靴の全面にするのですから、早くて10分はかかります。
それを最低20回繰り返すのです。
最初の5回くらいは、あまり顕著な変化は出てきません。
しかし繰り返すうちに、小さな凸凹が埋まってきて、
次第に均一な面、俗に言う「面一(つらいち)」になってきます。
10回もすると、相当ピカピカに光ってきます。
しかし、鏡面とまでは言えません。
15回が過ぎ、20回に近づくと、
本当に鏡面のように、
自分の顔がきれいに映り込むような仕上げになります。
ここまで要する時間が、3時間半。
しかも、これで片足です!
両足で、7時間という、とんでもないことになります。
もちろん、クリームだけでも普通に言えば
どこに出しても恥ずかしくない、
十分な艶と光沢があるのですから、
この7時間は、全く趣味の世界です。
また、そんな20回ではなく、
10回でも十分に見違えるようにピカピカですし、
6回か7回でも相当なものです。
昔、親の会社でステンレススチールを販売していましたが、
ステンレスの仕上げにもいろいろな仕上げがありました。
最も一般的な仕上げは2Bと言われる仕上げで、
適度な光沢があります。
普通ステンレスというと、
この仕上げのものを思い浮かべていらっしゃると思います。
BAという仕上げは、鏡面に近い仕上げです。
細かく見ると、まだまだ鏡面とは言えないのですが、
パッとみると、十分鏡面のように見えます。
最高級の仕上げはNo.7とNo.8です。
これは、本当に最高級の鏡面的仕上げです。
No.7は、よく見るとまだ研磨目がありますので、
正式には鏡面とはいえず、準鏡面と言われますが、
No.8には、研磨目すらなく、鏡面仕上げと言われます。
詳しくは、こちらをどうぞ。
http://www.ks-kousei.co.jp/stainless/finish.html
例えると、クリームで磨いた状態が2B,
7回くらいワックスで磨いた状態が、BA,
20回くらいワックスで磨いた状態が、No.7、
No.8となると、磨く回数もさることながら、
研磨目が残らないようにしなければなりませんので、
磨く布の材質が決定的に重要になります。
シルクか、より繊細なものを使わないと無理ですし、
靴ですから、すぐに埃にまみれます。
反射鏡にも使われるステンレスのNo.8は、
靴には余り意味がありません。
何より、No.7とNo.8の違いは、よーく近づいて見ないとわかりません。
いや、近づいても専門的な目を持っていないとよく分かりません。
しかし、趣味というのは、怖いものです。
その意味のないNo.8に挑戦してしまうのです。
一歩外に出ただけで、No.7はおろか、
せいぜいBAにまで落ちてしまうのに、
追求せざるを得ないのが、
病膏肓に入いる、ということです。
あれこれと工夫をして、ついにNo.8といえるような
仕上げに成功しました。
それに要した時間は、一足につき、両足で20時間・・・・・
という、正に病的なものでした。
しかも靴を履いて部屋を一歩出ると、
その仕上げは壊れてしまうのです。
砂曼荼羅というものがあります。
何ヶ月もかかって砂で曼荼羅を作っては壊すことを
何度となく繰り返すのです。
元々この世に、「保存」できるものは一つもありません。
それは執着です。
常に作っては壊し、作っては壊し、ということを
やり続けていかなければなりません。
作ったこと、やったことに、「思い」を残してはならないのです。
本当の「思い」「想い」とは、過去に執着してそれを保存しようとすることではなく、
常に本当の原点、「存在のゼロポイント」から出発して、
常に新たに一から作り続けることです。
即ち、ex nihilo !